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和製ロナウド矢野隼人の引退後10年。
自らの挫折を伝えるS級指導者に。
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph byTetsuro Kaieda
posted2018/10/03 07:00
帝京高、ヴェルディで大きな注目を集めた矢野隼人。彼は今、育成年代の指導者としてキャリアを積んでいる。
自分の挫折は包み隠さず伝える。
指導するうえでは、自身の苦い経験がそっくりそのまま役立った。
「過去の挫折は包み隠さず選手たちに伝えています。自分はここで失敗したから、いまのうちにこれをやっておけと。たとえば、僕はオフ・ザ・ボールの駆け引きがまったくできなかったんです。身体能力に頼りきりで、ポジショニングや動き方が身についていない。プロに入ってから、いかに自分がサッカーを知らなかったか思い知らされました。だから、ボールを持っていないときに何をするかが重要なんだというのは何度も重ねて強調しています」
周囲の期待とは裏腹に、ピッチに立つことすらままならなかった現役時代は矢野に大きな教訓を与えた。
「試合に出ようが出まいが、チームの一員であることを忘れないこと。特に出ていないとき、腐っている時間なんて1秒もない。僕がそれを知ったのは、引退してしばらく経ってからでした。
この世界は、どこで誰が見ていて、いつ自分に手を差しのべてくれるかわからないもの。もし、サテライトチームにいた自分の取り組み方が違ったら、別の場所に導いてくれる指導者の方がいたでしょう。声がかからなかったのは、ピッチ外の評価もその程度だったということです」
もし時代が違っていれば……。
事実をストレートに受け入れることは、心の芯に堪えただろう。人々の興味の対象から外れ、どこからも必要とされず、胸に募る寂しさはいかばかりだったか。
一方で私はこうも思うのだ。当時はJ2が発足したばかりで選手の流動性は低く、プレーする場所の選択肢は限られていた。また、ひとりのスター候補に注がれる注目度も、現在とは比較にならないほど過剰だった。
今季、トップに昇格した山田はJ3のC大阪U-23を中心に、着々と試合経験を積んでいる。時代が違えば、あるいは環境面の整備が追いついていれば、光の射しこむ展開もあったのではないか、と。
「どうでしょうね。僕の場合は単に実力不足です。寛人はメンタルもしっかりしていますから心配いりません。現状、必要になってくるのは得点の部分かな。ややきれいに決めたがる傾向があるので、もっと泥くさくゴールを求めてほしい。相手に前に立たれても、股下を狙ってシュートを打つといった強引さ、貪欲な姿勢が出てくるとより楽しみです」