フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アウシュビッツに消えたサッカーの名将。
アルパド・ヴァイス、偉大なる戦術家。
posted2018/09/27 16:30
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
L'Equipe
アルパド・ヴァイスを皆さんはご存じだろうか?
かくいう私(田村)も、ロベルト・ノタリアニ記者の原稿を読むまでまったく知らなかった。
『フランス・フットボール』誌9月4日発売号では、連載「翻弄された運命」の最終回として、20世紀前半最高の監督のひとりでありながら、ナチス・ドイツによりアウシュビッツで悲運の最期を遂げたハンガリー系ユダヤ人のアルパド・ヴァイスを取りあげている。ノタリアニ記者のペンが淡々と描き出すのは、イタリアをはじめとする国々でのヴァイスの業績と、運命に翻弄される彼と家族の行きついた先である。
監修:田村修一
サッカーと人種差別について。
ボローニャFCのスタジアム(当時)と街の中心にあるヴァレリアニ広場の間は、わずか1kmしか離れていない。
アルパド・ヴァイスは練習の日も試合の日も、自宅からスタジアムまで徒歩で通った。
彼にとってそれはすべてを空虚にして心をリフレッシュする時間であり、また建設的なもの思いに没頭する時間でもあった。いずれにせよ彼も家族も、1935年1月に移り住んで以来ボローニャで暮らせることに大きな喜びを感じていた。
ところが数カ月前から、彼の心は次第に憂鬱になっていた。
ときは1938年の夏の終わり。
彼が途方に暮れたのは、9月9日にムッソリーニのファシスト政府が、1919年1月1日以降にイタリア国籍を得たユダヤ人は、6カ月以内に国外に退去しなければならないという政令を発布したからだった。
ナチス・ドイツと急接近したファシスト政権がその後連発する人種差別法案の、これが最初であった。両国の同盟関係は、その後11月にイタリアの法律により正式に承認されたのだった。