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アウシュビッツに消えたサッカーの名将。
アルパド・ヴァイス、偉大なる戦術家。
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph byL'Equipe
posted2018/09/27 16:30
稀代の戦略家だったアルパド・ヴァイス監督。セリエAで3度優勝した以上の数々の偉業を、サッカー史において残している。
家族と送られた先はアウシュビッツ。
1940年5月10日に始まったナチス・ドイツのオランダ侵攻により、オランダもまた安住の地ではなくなった。
ここでも反ユダヤ人種差別法案が採択され、1941年9月末には彼も監督辞任を余儀なくされたのだった。
クラブ会長のヴィレム・ファンツヴィストは、勇気を振り絞ってヴァイスとその家族を守ろうとした。だがそれでも1942年8月2日にゲシュタポに逮捕され、一家はオランダ北部のヴェステルボルクに設けられた仮収容所に送られた。
そしてちょうど2カ月後、一家4人は家畜輸送車に乗せられて、行き先も告げられないままオランダを離れたのだった。
列車が到着したのは、強制収容所のあるアウシュビッツ・ビルケナウというところだった。
妻のイロナ・ヴァイスとふたりの子供は、そのままただちにガス室に送られた。
アルパドはひとり隔離されたが、それは苦しみを引き延ばしただけだったかも知れない。強制労働に駆り出された彼は、1944年1月31日に亡くなるまで1年半ほども苦役を強いられたのだった。
20世紀前半で最も優れた監督のひとりは、孤独と忘却のなかで死を迎えた。その存在は、21世紀になってマッテオ・マラニが労作『スクデットからアウシュビッツへ』(2007)を世に出すまで、ヨーロッパでもほとんど顧みられることはなかったのだった。