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甲子園常連・聖光学院「谷間の世代」。
13年後にクラブ日本一を目指す理由。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2018/09/24 09:00
全日本クラブ選手権に出場した富士通アイソテックの選手兼任監督、河野勝人。
クラブで野球人生を燃焼させたい。
小野もまた、聖光学院での悔しさを晴らす場所をずっと探していた。高校卒業と同時に富士通アイソテックに就職していたこともあり、クラブチーム発足の際にメンバーに加わることに何のためらいもなかった。
「創設から自分たちがチームを築き上げていくことに興味がありましたし、前の年に震災もあって、『野球で福島県を盛り上げていこう』という目的を掲げて発足したことも自分としては大きかったですね。だから、『やる以上は全国を目指したい』と。やっぱり、高校時代に甲子園に行けなかったっていう悔しさはずっとありましたから、クラブチームで野球人生を燃焼させたい気持ちは強いです」
だからといって、すぐに河野と小野の熱量がチームに浸透したわけではない。
「戦う集団」と周りとの温度差。
発足当時の富士通アイソテックは、試合で勝てないどころか9人が集まるのがやっとのチームだった。野球経験者こそいるが、ふたりのように強豪校でプレーしていた者は少なく、モチベーションも高くはなかった。
無理もない。クラブチームとは社会人チームと違って自由参加型の要素が強い。高校や大学までは真剣に野球を続けていたが、「そこまで真面目にやりたくない。でも、草野球じゃ物足りない」といった考えの選手が大半を占めるのが実情だった。
河野と小野は「戦う集団」を作りたかった。そう思えば思うほど、周りとの温度差を感じずにはいられない。
河野はひたすら、「うちをただのクラブチームだと思って入ってもらっては困る」と訴え続ける。その熱さについていけず離れていった選手もいる。メンバーがいなくなるのは痛い。だが、選手を引き留めたいが故に迎合してしまっては意味がない。毎日がジレンマとの戦いだった。
小野が当時のチーム状況と、自身が抱えていた気持ちとの葛藤を漏らす。
「最初は『ただ野球をやりたい』みたいに思っている人が多かったですね。僕なんかは周りに気を遣って強く言えない部分もあったので、あの頃は河野と一緒にチームを立ち上げた意味を問い続けることしかできなかった」