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久保康友を生き残らせた頭の使い方。
松坂世代の「できない子」の視線。 

text by

ナガオ勝司

ナガオ勝司Katsushi Nagao

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photograph byKyodo News

posted2018/09/13 07:00

久保康友を生き残らせた頭の使い方。松坂世代の「できない子」の視線。<Number Web> photograph by Kyodo News

ひげも生やし、自然体でアメリカに挑む久保康友。個性的なキャリアにまた彩りが加わった。

軟式で控え、高校でも二番手以下。

 8月に38歳になったばかりの久保は阪神時代、コーチから「投げる哲学者」と呼ばれたことがあるらしい。なるほど、その話は理路整然としていて、関西弁の軽妙さも伴って独特だ。

「考えんのは好きですよ」と久保は相好を崩し、頭を指差した。

「でも、それはここがそんなに良くないから、今まで考えなきゃこの世界で生き残れなかっただけの話なんです。なんせ僕、ずっと軟式の控えだったわけですから」

 小学校、中学校と軟式野球で「自分よりうまいやつがいた」と控えに甘んじた。関西大学第一高校に入学して硬式野球部に入ってもすぐには芽が出ず、「エースになったのは三年生が抜けてから。それも同級生がヘルニアとか腰痛とかで投げられなかったから」と自嘲気味に話す。

松坂世代の「できない子」の視線。

 そこで1つの疑問が頭に浮かぶ。彼にはそもそも、群雄割拠の「松坂世代」の一員という意識があるのだろうか。

「あります、あります。同世代はできるやつが多いんで、皆、プライド高くて松坂世代って言われたくないってヤツがほとんどでしたよね。俺は俺や、あいつ(松坂)とは違うしって。僕はそういうのを傍から見てて、『こいつらスゲーな、これが本物やな』って思ってました」

 あります、と2度言ったものの、まるで「外野」の視線である。

「できない子の視線じゃないですかね?」と久保は言う。

「プロに入った時、『なんで俺はあいつに勝たれへんねん?』とか悩んでる選手がいたけど、『そんなん、俺は小学校3年生ぐらいで思ってたよ』と。小学生ならそこで諦めるのか、いろいろ工夫するのか、それとも野球以外のスポーツをするのかって選択をする。

 なのにプロ野球選手が20歳ぐらいで小学生みたいな悩み抱えていて、今までどんだけ、こいつ幸せな野球人生を送ってきたんやろなぁって」

 彼にとっては「考える人」にならなければ、野球界で生き残れなかったのだ。

【次ページ】 怪我するほど頑張ったことがない。

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