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久保康友を生き残らせた頭の使い方。
松坂世代の「できない子」の視線。

posted2018/09/13 07:00

 
久保康友を生き残らせた頭の使い方。松坂世代の「できない子」の視線。<Number Web> photograph by Kyodo News

ひげも生やし、自然体でアメリカに挑む久保康友。個性的なキャリアにまた彩りが加わった。

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ナガオ勝司

ナガオ勝司Katsushi Nagao

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Kyodo News

 テキサス州シュガーランドは、合衆国第4位の人口約209万人の都市ヒューストンから車で30分程度の郊外にあるベッドタウンである。町には似たような作りの新しい複合住宅が幾つも点在しており、スキーターズ(蚊)という名の独立球団の本拠地コンステレーション・フィールドもその一角にあった。

 8月下旬のある午後、右翼後方のブルペンでチームカラーの青いTシャツに短パン姿の日本人が投げていた。足を上げて少し溜めを作る“日本流”の投げ方から、切れのある4シーム・ファストボールや速度差のあるチェンジアップを小気味よく投げ込む様は、見ていても気持ちいいぐらい。

 キャッチャーの構えているところに高い確率で次々に決まる。時々、持ち球の1つであるスライダーが外角へ外れるぐらいだ。

「キャッチボールとかほとんどしてない状態でアメリカに来て、バタバタしながらなんとか仕上げたけど、まだちょっと体が流れてしまう。あんな球、普通なら行かない」

 久保康友=「Yasu Kubo」は、日に焼けて精悍な表情でそう言った。

松坂世代「最後の大物」と呼ばれて。

「こっちの打者は誇りを持って自分のスイングをする。日本みたいに当てに来ることはまずない。だから三振が多い(現地9月10日 50.0回で47三振)と思うけど、対応力は日本人よりも高い。

 運動能力が優れているんで、日本人みたいに配球を読んだりしなくても細胞がパッと反応する。2回、3回と対戦していって、その反応が速ければ彼らの方がどんどん上がっていく。僕がそれ以上の球の見せ方、配球をしていれば僕の勝ち。その勝負だと思う」

 奈良県橿原市出身の38歳右腕は、プロ入りが遅かったために松坂世代「最後の大物」と呼ばれた。関西大学第一高校から松下電器(現パナソニック)を経て2005年、自由獲得枠で千葉ロッテに入団。

 4月に初先発して完封勝利を収めると、そこから7連勝するなどして10勝3敗、防御率3.40の成績でパ・リーグ新人王に輝いた。阪神時代の2010年には14勝5敗でリーグ最高の勝率.737を記録している。DeNAを自由契約になったのは昨秋のことだ。

 どうして彼は37歳の春になって突然、アメリカに来たのか――。

【次ページ】 「日本のプロ野球って……」

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