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ミラクル金足農業が34年前に
桑田真澄を追い詰めた夏。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byKatsuro Okazawa
posted2018/08/17 17:30
1984年の夏、甲子園での桑田真澄。この夏、PL学園は決勝で取手二に負けて準優勝に終わっている。
もしかしたらPLが負けるかも……。
6回に1点を取られるが、勝ち越しは許さず、7回表、勝ち越し点をあげて再びリードを奪う。球場の雰囲気が変わってきた。
「マウンドにいるとどよめきが違うんです。もしかしてPLが負けるんじゃないかと観客の人も思いはじめている感じでした」
当然そうした空気は選手にも伝わる。勝てるかもしれない。8回裏、1死後、水沢は4番の清原を歩かせてしまう。
「怖がったんじゃないんです。ぼくは清原より桑田のほうがいやだった。打席でなにをしてくるかわからない。桑田の前に走者を出したらイヤだなと思ってはいました」
桑田が放った逆転の本塁打。
その「イヤだな」の気持ちが四球につながったのかもしれない。走者を置いて桑田。前の打席は外のカーブで内野ゴロを打たせている。
初球は外にストレート。2球目にカーブ。捕手の長谷川はボールゾーンにミットを構えた。絶対に甘く入ってはいけない球。
だが、水沢が投げた2球目は、きちんと変化を付け切れずに、真ん中寄りに落ちていった。桑田は見逃さなかった。金属音が響くと、打球はレフトポールのはるか上を超えていった。
「打球より審判の腕を見ました。あたりがすごいのはわかった。あとは入ったかどうかだけ。腕が回っていました」
監督の嶋崎は三塁側ベンチなので、打球の行方がよく見えなかった。
「ポールが今よりかなり低かった。今ならポールか横についているネットに当たっていたかもしれません。ともかく、水沢があんなあたりを打たれたのはあの1球だけですね」