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ミラクル金足農業が34年前に
桑田真澄を追い詰めた夏。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byKatsuro Okazawa
posted2018/08/17 17:30
1984年の夏、甲子園での桑田真澄。この夏、PL学園は決勝で取手二に負けて準優勝に終わっている。
全国の農業高校から激励が殺到!
しかし、まず負けると思われた広島商業との1回戦をみごとに勝ちあがる。「ウチが広商の野球をやろう」と指示した嶋崎の策が当たったのだ。バントを多用する広商戦術を駆使して6対3で古豪を破る。
1回戦を勝つと、全国の農業高校から激励の電話や手紙が寄せられた。当時からすでに、農業高校は減少傾向にあった。
無欲で勝った1回戦だったが、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ちあがると欲が出た。
「PLとやりたい」
水沢はそう考えたという。前年の大会、1年生の桑田真澄、清原和博の活躍で優勝したPL学園は、この年になると、なかば神格化されたチームになっていた。14点、9点、9点とすさまじい打線の破壊力を見せ、当然のように準決勝に勝ちあがってきていた。
桑田対策が、全く功を奏さず。
抽選のくじはほかの学校が引いたが、念願どおり金足農業は準決勝でPL学園と対戦することになった。真正面から力の勝負を挑んでも勝ち目はない。嶋崎の考えた策は、桑田を動かすことだった。
「甲子園で5試合目なので、だいぶ疲れているはずだ。だから1回から3回までは全員にバントの構えをさせる。バントの動きに桑田君が反応して走ってくれれば、疲れて後半に勝機が出るだろうと」
だが、作戦は全く功を奏さなかった。金足農業の意図を見抜いた桑田は、バントの動きにも全く反応しなかった。揺さぶる策であることを見抜いていたのだ。しかし、試合は水沢の好投で金足有利に展開していた。1回表に内野安打2本で取った1点を、水沢はしっかり守りつづけた。
「特にどんな攻めをしようとかは思っていませんでした。持ち球はストレートに大きなカーブ、そしてシュートがちょっと。だいたいストレートかシュートでゴロを打たせるという形が多かった。配球は捕手の長谷川寿のサインどおりでしたね」