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ミラクル金足農業が34年前に
桑田真澄を追い詰めた夏。
posted2018/08/17 17:30
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
Katsuro Okazawa
吉田輝星の力投と劇的な勝利を重ね、準決勝に進出した金足農業。
34年前の夏の準決勝で対戦したのは、桑田真澄、清原和博を擁する
PL学園だった。初出場でありながら、KKを土俵際まで追い詰めた
1984年のあの夏を、当時の監督とエースの証言で振り返った。
Number834号(2013年8月22日発売)掲載のストーリーを特別に公開します。
34年前の夏の準決勝で対戦したのは、桑田真澄、清原和博を擁する
PL学園だった。初出場でありながら、KKを土俵際まで追い詰めた
1984年のあの夏を、当時の監督とエースの証言で振り返った。
Number834号(2013年8月22日発売)掲載のストーリーを特別に公開します。
1984年の甲子園は北風が強かった。東北の高校が大活躍したのだ。まず、春の選抜では岩手の大船渡高校が準決勝まで進出し、ファンを驚かせた。初出場の県立高校がここまで健闘するとは予想外のことだった。
夏は秋田の番だった。予選を勝ち抜いた初出場の金足農業が初戦を突破すると、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ち抜いて、準決勝まで勝ちあがったのだ。県立の、初出場の、しかも農業高校の野球部がそこまで行くとは大きな驚きだった。
「全く自信がなかったわけではありません」
当時の監督、嶋崎久美は振り返る。
「春の選抜に出て1勝していましたし、夏の予選も決勝では9回に2点差をひっくり返して勝っていた。だからある程度戦えるのではないかと」
だが、そんな自信も組み合わせ抽選で吹き飛んだ。1回戦の相手が名門の広島商業だったからだ。
「高校野球のシンボルみたいな学校ですからね。とでも勝てるとは思えなかった」
「カナタリ」「キンソク」と呼ばれ。
対戦前、報道陣が集まり、双方の監督、選手から話を聞く。エースの水沢博文はそのときの様子を覚えている。
「集まった記者の8割は広島商業のほうに行っていましたね」
東北の初出場の農業高校への注目度は当然のように低かった。嶋崎が面白いエピソードを教えてくれた。
「校名はなんと読むんだという質問がけっこうありましたね。カナタリだとかキンソクだとか。大会本部は間違われないようにと校名の脇に振り仮名を振っていました。あんなことははじめてでしょう」