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「コメディ」のち「最高のセーブ」。
川島永嗣への批判は適切ではない!
posted2018/07/10 10:30
text by
岩崎龍一Ryuichi Iwasaki
photograph by
Getty Images
決勝トーナメントでの2点差の逆転劇は、1970年メキシコW杯の準々決勝で西ドイツがイングランドに延長の末、3-2の勝利を収めた試合以来、48年ぶりだという。
アディショナルタイムとなる90+4分の逆転弾までの25分間。ベルギーが繰り広げた3点連取の猛攻は、敵とはいえ圧巻だった。
ロシアから日本に戻って驚いたのは、ヤン・ベルトンゲンに許した69分の1失点目に対し、川島永嗣の対処ミスのような論調があったことだ。果たしてそうだろうか。
得点にシュートの前段階での素晴らしいプレーがあるように、失点でも必ずなんらかの原因がある。あの直前、乾貴士のクリアが違う方向に飛んでいたら、結果は異なるものになっていただろう。
キーパーはシューターの意図を読む人種。
シュートに関しても、一度軌道を見た後だから「対処ができたのではないか」という意見が出る。しかしあのヘディングは、GKを最も無力化するループシュートと同じだ。しかもシュートを放ったベルトンゲン自身が「1点を返したヘッドは少し運があった」と語っている様に、必ずしも本人の意図通りのものではないようだ。
GKとは、シューターの意図を読んで行動を起こす人種だ。だからサイドからのクロスの蹴り損ないが、ゴールに飛び込む場面をよく目にする。あのシュートに関しても、川島の予測外のものだったのだろう。
しかも逆サイドのネット上方に飛んだ。ニアポスト際に定石通りのポジションを取った川島が、バックステップを踏んでこのシュートを弾き出すのは、かなり困難な作業だったといえる。
1点を守ったプレーは忘れ去られがちだが、1点を失ったプレー、それが敗戦につながった場合は、人々の記憶により深く刻まれる。その意味で1つのミスが失点により直結する、GKのポジションは因果な商売だ。
チームとしての守備の過程は忘れ去られ、一気にGKの責任だけが追及されることがあるからだ。