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調教師・藤沢和雄が偉業達成!
史上2人目の通算1400勝の足跡。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byTakashi Shimizu
posted2018/07/06 11:30
通算1400勝の偉業を達成した藤沢和雄調教師。日本競馬界を支える1人だ。
「あんなノンビリでは」の声にも揺るがず。
ほかにも、距離別の路線に徹した使い方、午後運動の廃止、寝藁や馬栓棒の撤廃、飼い葉の改良などなど。現在では当たり前となっていることも、藤沢が第一歩を踏み出したものであることは実に多い。
先頭を行く者が常に批判の対象となるのはいつの時代も同じ。藤沢も事あるごとに噛みつかれた。
馬なり調教をすれば、「あんなノンビリやっていては仕上がらない」と余計な事を言われ、集団調教には「邪魔だ」と声を荒げられた。時には自らの厩舎のスタッフからも疑問の声を呈されることもあったと言う。
しかし、競馬の本場で培われてきた信念を曲げる気はなかった。
すると、やがて成績が良くなった。
「もっと長い距離で使っても良いのでは?」と外野に言われたシンコウラブリイやタイキシャトルだが、1600mレースのマイル路線にこだわることで、勝ち続けた。
前者は厩舎に初のGIタイトルをもたらし、後者はフランスのGI・ジャックルマロワ賞も勝つと、中央競馬を代表する年度代表馬となった。
3歳馬でも秋の天皇賞に使い、勝利した。
バブルガムフェローが3歳で秋の天皇賞へ挑む事を決めた時は、「3歳馬同士の菊花賞の方が勝機はあるのでは?!」と言われたが、天皇賞を勝つことでその声を封印した。
シンボリクリスエスも同様だ。3歳時に秋の天皇賞と有馬記念を勝つと、翌年、両レースを連覇。2年連続の年度代表馬となった。
'93年に初めてJRA最多勝利調教師となると、'95年から2004年まで10年連続でその座を守った。
そして気付いた時には14回も首位の座を獲得し、“名調教師”と言われるようになった。