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調教師・藤沢和雄が偉業達成!
史上2人目の通算1400勝の足跡。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byTakashi Shimizu
posted2018/07/06 11:30
通算1400勝の偉業を達成した藤沢和雄調教師。日本競馬界を支える1人だ。
改革を起こした“馬なり調教”。
'88年についに開業すると、日本の競馬界に数々の革命や改革を起こした。
例えば“馬なり調教”。それまで追い切り(レース前に強めの調教を課す事)と言えば長い距離をびっしりと追うのが当たり前だった。
しかし、藤沢は普段の調教だけでなく、追い切り時にも騎乗者に馬を鞭で叩くことはさせず、手綱を持ったまま、いわゆる“馬なり”で追い切らせた。
「レースの3~4日前に1本、速い時計で追い切ったところで少々気合いが入るかどうか。馬の能力そのものが大幅に変わるわけではない」
そういう信念の下、追い切りそのものよりも、普段の運動に重きをおいた。
曳き運動や乗り運動では、馬にただダラダラと歩かせるようなことはせず、シャキシャキと歩かせた。そうすることによって、身体と心肺機能を強くしていった。
そして、追い切りでは、馬が走るのを嫌がらないように、鞭で叩いたり、びっしり追ったりすることなく、馬なりでフィニッシュさせた。
「調教を『もっと走りたい』と思うくらいで止めておくことによって、競馬場で全力で走ってくれる馬もいますからね」
伯楽はそう言って笑った。
3頭以上の“併せ馬”にも根拠があった。
また、調教のときに2頭以上の馬を並んで走らせる“併せ馬”も、2頭が主流だった時代に、3頭、4頭で行う方法を取り入れた。一度に10頭を馬場入りさせたこともあった。いわゆる集団調教であり、これも当時は真新しい調教法だった。
「人間でもそうだと思うけど、仕事は1人でやるよりも皆でやった方が精神的にも楽になるからね」
そう語るが、ただの精神論だけではないことも続く言葉から分かる。
「多頭数で乗ることで、輪乗りの際に、前の馬が落鉄をしていないかなど、皆で確認し合うこともできます」