ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
オカダ戦は、まるで『七人の侍』!
鈴木みのるが白い衣装に込めた思い。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byMasashi Hara
posted2018/07/06 10:30
鈴木みのるの30年が詰まったオカダ・カズチカとの戦いは、見る者の心に何を残したのだろうか。
キックボクサーに心を折られた因縁の白。
この白コスチュームの歴史は古い。
最初に着用したのは'89年11月29日、第2次UWF東京ドーム大会でのキックボクシング、WKA世界ヘビー級王者モーリス・スミスとの異種格闘技戦。じつは、この時の“白”にはまだ、特別な意味合いは何もなかった。
当時、鈴木は月に1度のペースで行われていたUWFの試合において、ほぼ毎回コスチュームを変えていた。ブルーや蛍光イエロー、さらにはピンク(!)など、いまでは信じられないような派手なショートタイツも着用していたのだ。白もそんな中のひとつでしかなかった。
それが、このモーリス戦によって特別な意味合いを持つようになる。
鈴木は初の異種格闘技戦で、最強のキックボクサーの打撃の前になすすべなくボコボコにされて、TKO負けを喫してしまう。最後のダウンは、鈴木自身が「モーリスの打撃が怖くて自分から倒れた」と明かすなど、心まで折られた惨敗だった。
そんな鈴木の姿は、プロレス雑誌に白のコスチュームになぞらえて「死装束」と書かれた。この屈辱から鈴木は、「もう二度と死装束なんて書かせない」と誓い、惨敗して縁起が悪いはずの白コスチュームを、あえて大事な一戦で着用するようになったのだ。
「根性決めて闘う相手」のときしか着ない。
これ以降、鈴木はUWF~パンクラス時代、3度行われたモーリス・スミス戦では、すべて白コスチュームを着用。それ以外にも、キング・オブ・パンクラスのタイトルマッチなど、とくに重要な試合では白を着用した。
'02年11月、白コスチュームで臨んだ獣神サンダー・ライガー戦をきっかけに、パンクラスにけじめをつけて本格的にプロレス復帰を決意する。
プロレスのリングでは、“帝王”に君臨していた高山善廣との初対決('03年9月・相模原)、若手時代のライバルでパンクラスでの試合が一度流れた経緯もある因縁の佐々木健介戦('04年11月・大阪ドーム)、プロレスリング・ノアでの総決算となった秋山準とのGHCヘビー級タイトル戦('06年3月・日本武道館)、全日本プロレスでの武藤敬司との三冠ヘビー級タイトル戦('07年7月)など。各リングで最も重要な節目で、白のコスチュームを着用してきた。
鈴木自身は、この白コスチュームについて「ビッグマッチだとかどうとか、そういうのは関係ない。自分が根性決めて闘う相手で、『ここだ!』っていうときに着ることにしている」と語っている。