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ヒディンク采配が西野監督の憧れ。
ロマンに酔わず「強い選択」を。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2018/06/18 11:00
「想定外の展開でも、選手交代をひらめくことはある」という西野監督の試合勘も試されることになる。
選手たちが自然と“ゾーン”に入った。
西野が評価するのは、ヒディンクの経験や勝負勘だけではない。格上を苦しませた采配は、周到な準備によって生み出されたものとしてとらえている。
「ヒディンクの交代の意図を、選手たちはスムーズに実行へ移していったと感じられた。自然と“ゾーン”に入ったような感じでプレーできているところに、あらかじめ準備をしたことがうかがえた。
監督の采配やスタイルを選手たちが理解して、変化に対応していった。それをさらに評価したいですね」
'02年から'11年までの長期政権を築いたガンバ大阪では、攻撃的なサッカーをとことん追求した。
毎シーズンのように補強をしながらも、外国人選手を中東のクラブへ引き抜かれたり、日本代表クラスを欧州のクラブへ送り出したりした。チームの再構築は新たな即戦力の獲得のみに頼らず、育成組織からの吸い上げに積極的だった。高校2年生の宇佐美貴史をクラブ史上最年少で公式戦にデビューさせたのは、単なる話題づくりではなかった。
ガンバ時代は結果と内容の両立を求めた。
そのうえで、常勝の看板を磨き上げていった。西野が強くこだわったのは勝利=結果と内容のバランスを取ることではなく、結果と内容の両立である。リードを守り切るための交代よりも、相手をさらに突き放すためのカードを切ることで、ガンバのサッカーを魅力的なものにしていった。
「たとえば2-0でリードをしていたら、リトリートしてカウンター狙いの戦術に切り替えれば、そのまま終わらせることはできる。守ろうと思えば守れるけれど、監督が攻撃的な姿勢を出さなければ、選手だって出さない。だから、サブのメンバーにDF登録の選手を入れないこともあった」