サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
漫画家・高橋陽一にとってのサッカー日本代表
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byYuki Suenaga
posted2018/06/22 10:00
気づけば翼くんと同じ10番に注目。
――日本代表での印象深い試合、大会と言うと?
高橋「アジアを制した広島でのアジアカップ(1992年)ですかね。アジアで勝てない時期が続いていましたから、これならワールドカップに行けるんじゃないかって思えた大会でした。選手で言えば、10番のラモス瑠偉さんに注目していました。彼なら日本を世界の舞台に連れていってくれるんじゃないか、と」
――木村さんといい、ラモスさんといい、やはり翼くんと同じ10番に目がいってしまうわけですね。
高橋「ハハハハハ。本当にそうですね」
――日本はその後“ドーハの悲劇”を経て、1998年のフランスワールドカップ出場を決めます。高橋先生はフランスまで行って日本代表を応援されています。
高橋「日本が出場することで、ワールドカップの楽しみ方も変わりました。やはり国同士の最高の戦いを楽しめますし、サッカーの見本市でもあると思います。そういう楽しみ方が一つ。そして純粋に日本を応援する楽しみが増えました。日本が負けるのを見ると、凄く悔しいですよね」
――このフランスワールドカップをきっかけに、欧州に挑戦する選手が増えていきます。翼くんもサンパウロを経て、バルセロナに渡りました。
高橋「ブラジルのタレントも欧州に行く流れだったので、サンパウロの翼は欧州のどこでプレーするんだろう、と。フランスワールドカップのときにフランス国内で宿が取れず、バルセロナに泊まったんです。バルセロナの攻撃サッカーは僕も好きでしたし、スタジアムのカンプノウを実際に見たときに翼をここでプレーさせたいなって思ったんです。当時はセリエAが欧州最高峰と呼ばれていましたけど、バルセロナがいいなって」
――もし宿泊先がマドリードならば、レアルだったかもしれませんね。
高橋「そうだったかもしれません(笑)」
――ほかに印象深かった試合はありますか?
高橋「忘れられないのは2002年の日韓ワールドカップです。鈴木(隆行)選手のベルギー戦のゴール。埼玉スタジアムのスタンドがワーッて凄い雰囲気になって、僕自身も興奮しました。長居でチュニジアに勝って決勝トーナメントを決めたときも、大喜びしました。開催国のグループステージ敗退は聞いたことがなかったんで、ああ良かったなって。
今もそうですけど、印象に残っているのは大体、勝っている試合ですね。もちろん単純に見て、攻撃的で面白いサッカーのほうがいい。それでも代表チームは勝たなきゃいけないと思うんです。最近で言えば、ホームでオーストラリアに勝ってロシアワールドカップ行きを決めた試合(2017年8月)も良かった。井手口(陽介)選手のミドルシュートは見事でしたよね」
――勝ってこその代表チームだ、と。
高橋「代表チームが強いか強くないかで選手がラベリングされるところってあると思うんです。日本代表チームに結果が出ていれば、欧州のクラブも“獲ってみようか”となる。海外に出ていって、強いチームに行く選手が増えれば増えるほど、代表のレベルがもっともっと上がると思うので」