サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
ジャーナリスト木崎伸也が目撃した激闘の瞬間
posted2018/06/01 10:00
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
JMPA
ワールドカップドイツ大会グループリーグ(カイザースラウテルン フリッツ・ヴァルター・シュタディオン)
日本 1-3 オーストラリア
歓喜から絶望に突き落とされたという意味でも、サッカーの奥深さを見せつけられたという意味でも、個人的に2006年6月12日のワールドカップF組初戦、日本対オーストラリアを上回る試合はない。
日本は前半26分に中村俊輔のクロスがそのまま入ってラッキーな形で先制したが、後半39分に同点にされると、さらに2失点して1対3で敗れてしまった。俗に言う「カイザースラウテルンの悲劇」である。
当時、筆者はドイツに住んでおり、人生で初めてのワールドカップ取材だった。ハンブルクに住んで高原直泰を追い、タレントがそろったジーコジャパンに可能性を感じ、グループステージを突破するものと信じていた。
だが、ラスト8分、地元の人から「魔女の大釜」(Hexenkessel)と呼ばれるカイザースラウテルンのスタジアムは地獄と化し、チームが崩壊した。煮えたぎるような暑さのスタジアムで、こちらまで頭が真っ白になり、しばらく席を立てなかった。なぜ日本は敗れたのか、何としても突き止めたいと思った。
名将ヒディンクが日本代表に仕掛けた罠。
大会後に取材を重ねると、悲劇は偶然ではないことがわかってきた。フース・ヒディンクという策士によって、計算して引き起こされたものだったのだ。
オランダの名将ヒディンクは、日本の試合を分析し、「日本は60分間もたない」という結論を得ていた。ジーコジャパンはDFからFWまでコンパクトでなく、攻守で必要以上に走らなければならなかったことが要因だろう。また、ペース配分する老獪さにも欠けていた。
一方、オーストラリアの選手たちには、窮地に陥るほど力を発揮する開拓スピリットが見られた。この傾向から、ヒディンクは「後半に日本が疲れたときに、ひたすらロングボールを放り込む」というゲームプランを考案した。
それを実行するうえで、2つの罠を用意した。
1つ目は、日本の攻撃的選手に、パワフルな選手をぶつけるという奇策だ。