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トルシエが語るハリルジャパンの過ち。
「選手達を“勇猛な戦士”にしたかった」
posted2018/05/22 11:30
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Getty Images
ヴァイッド・ハリルホジッチは、日本がワールドカップ本大会において2006年ドイツ大会や前回のブラジル大会と同じ過ちを繰り返さないために招聘した監督であった。
ヴァイッドは、ワールドカップの本戦で戦うノウハウを持っている。
実力では劣るチームが世界最高峰の相手と対戦するときに、どんな準備をしてどんな状態で試合に臨めば最大限の力を発揮できるのか――そうした戦いのエキスパートが、ヴァイッドであるはずだった。
そこで彼に必要なのは、「鉄の意志を持って彼のプレーを体現できる選手たち」だった。
前に進めないのであれば、一度後退してポゼッションするのではなく、どうすれば前に行けるかひたすらトライし続ける選手が。
迷いのある選手は彼のチームには必要ない。どれほどのスターであれ、迷いを口にする選手を外すことで、彼は戦う集団を作りあげていくつもりだった。それがブラジルワールドカップで躍動した彼のアルジェリア代表だったからだ。
そうであるからこそ、3月のベルギー遠征で選手たちが、前に進めないときに別のやり方を選手同士で模索するためのミーティングを求めても、容認できるはずなどなかった。
ヴァイッドにとっては、彼が追求するスタイルだけが、コロンビアやポーランドを相手に日本が勝機を見いだせる唯一の方法であるのだから。
そして勝機は、チーム全員が同じ方向を向き、何の迷いもなく同じことを考えてプレーすることで、はじめて生まれるのだから――。
下から積み上げて構築するのでは、目標には届かない。ならばグループリーグ突破という目標を達成するために、どういう戦い方をしなければならないのか。たとえ無理と思われても、目的から逆算してチームと戦い方を構築するヴァイッドの方法論は恐らく正しい。「アジア」とは異なる「世界」の戦いで、本気でグループリーグ突破を望んでいるのであれば。
4年前のブラジルで日本は、自分たちのサッカーをアピールできず、華々しく散ることすらできなかった。
では、ロシアでは何を望むのか。
日本らしさを存分にアピールしてグループリーグで散ることなのか。それともリアリストに徹して、ベスト8進出を目指すことなのか。そもそも日本は、コロンビアやポーランドを相手に、日本らしさを発揮することができるのか――。
現実に徹し現実にのみ目を向けるヴァイッドには、プレーや戦い方においてロマンが入り込む余地はない。彼の目に映るのは、日本と世界のトップチームのレベルの差であり、Jリーグとヨーロッパ5大リーグのレベルの差である。その差をワールドカップ・グループリーグの3試合で埋めることのみに、彼の情熱とエネルギーは注がれてきた。そのヴァイッドの方法論や理念を、彼の就任から3年が過ぎた3月の時点でも、選手やスタッフ、協会が十分に理解しているとは思えなかった。そこにこそ本当のコミュニケーションの問題があった。
それではフィリップ・トルシエは、ヴァイッドがチームを構築し戦いをすすめていく上で、いったいどんな過ちを犯したと考えているのか。果たしてヴァイッドの方法論は日本代表に適していたのか――。
監修:田村修一
「彼の考えは決して間違いではない」
――ヴァイッドが追求したのはアグレッシブかつスピーディに前にボールを運ぶスタイルで、本田(圭佑)や香川(真司)、岡崎(慎司)にもそれを求めましたが、それは彼らがクラブで普段プレーしているスタイルとは違い、役割も異なっていました。そこから齟齬が生じ、彼らをチームから遠ざけて、自分のやり方を何の迷いもなく実践する若手を起用して“勇猛な戦士(ウォリアー)”に仕立てようとしました。ワールドカップのグループリーグを勝ち抜いてベスト16に進むには、他に方法がないとの確固たる思いが彼にはあったようでしたが、そのやり方は日本代表に合っていたのでしょうか?
「彼がそう考えたのはわかる。世界のサッカーがどういう状況にあるかを考慮したときに、彼の考えは決して間違いではない。
日本がドイツやフランス、イングランドと対戦する際には、ヴァイッドのサッカー哲学は大いに有効だ。
逆にシンガポールやベトナム、サウジアラビアなどのアジア諸国が相手のときには、彼の考え方は適切とは言えない」