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堀池巧が語る代表デビュー戦秘話
posted2018/05/18 10:00
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堀池巧Takumi Horiike
photograph by
PHOTO KISHIMOTO
キリンカップサッカー1986(東京 国立競技場)
日本 0-2 ブレーメン
“豪雨”と“重馬場”。
順天堂大学3年生でまだ20歳だった僕が初めてA代表の試合に出場したのが1986年5月14日、キリンカップ第2戦のブレーメン(西ドイツ)戦。この大会を最後に帰国することになる奥寺康彦さんが相手側にいました。
東京は大雨。国立競技場のピッチはひどくぬかるんでいて、ボールを蹴ったところで飛ばないし、止まってしまう。ぬかるみに足を取られてしまう。僕は中盤に入ってフォワードの元西ドイツ代表ブルグスミュラーをマンマーク気味に対応するように指示を受けたのですが、体をぶつけてもびくともしません。試合は前半に2点を奪われ、何もできないまま90分が過ぎて負けました。
衝撃だったのは、いくらぬかるんだ“重馬場”のピッチであってもブレーメンの選手が普通にサッカーをやっていたこと。悪条件でも自在にボールを扱い、踏ん張りを利かせて足を取られることもない。歴然とした「差」を突きつけられたことは、かなりショックでした。1対1の対人には自信があったのですが、ブルグスミュラーを食い止めることはできませんでした。たとえ良いピッチコンディションであったとしても、体をぶつけられてそのまま振り切られてしまったのではないでしょうか。重量感ある彼に振り回されてしまった苦い記憶ばかりが強い印象として残っています。
“うわっ、あの都並さんだ!”
このキリンカップに向けたA代表の合宿に初めて呼ばれました。関東大学サッカーリーグでも春から非常に調子が良かったのですが、代表から声が掛かったことはちょっと驚きでした。大学の1つ上の平川弘さんが先に日本代表に呼ばれていたので大学生でも頑張ればチャンスがあるんだなとは思っていましたけど「こんなに早く呼ばれるとは」という感じでしたね。
当時の日本代表は前年にメキシコW杯アジア最終予選で韓国代表に敗れ、この年から石井義信監督の新体制になりました。静岡のつま恋合宿では、今までテレビやサッカー雑誌で見ていた人たちが集まっていました。加藤久さん、松木安太郎さん、柱谷幸一さん……。そしてずっと憧れてきた都並敏史さん。雑誌の切り抜きを下敷きに入れるほどで“うわっ、あの都並さんだ”って感激した思い出があります。
しかし不思議と緊張というものはなかったと思います。合宿の途中で一度抜けて大学の公式戦に出てからまた代表に戻ったりしていて、とにかくガムシャラにやるしかなかったので。そして何より先輩たちが優しかった。