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堀池巧が語る代表デビュー戦秘話
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堀池巧Takumi Horiike
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2018/05/18 10:00
代表での経験をチームに還元して。
実は試合の夜、関係者からミランジーニャのサイン入りユニフォームをプレゼントされました。彼を抑えて頑張ったということで、わざわざもらってくれたそうです。そのミランジーニャがその後、清水エスパルスに移籍して僕のチームメイトになるわけですから、縁というものは不思議なものです。
僕は1995年まで日本代表で通算58試合に出場しました。「ドーハの悲劇」を含め、様々な経験をさせていただきました。初めて日本代表に入ったあのときのことが、その後の自分のサッカー人生に大きく影響したように感じます。
大学に戻って、代表で経験したことをチームに還元して引き上げたいという思いを強く持つようになりました。チームメイトに対しても、厳しく要求するようになったかもしれません。長い時間を経て今、順天堂大学蹴球部の監督になってもそれは同じです。
学生に対して、僕は厳しい態度で接しています。満足してしまったら、成長は止まりますから。プロのサッカー選手を目指す部員もいれば、教員を目指す部員もいます。どの分野を目指そうとも、満足せず、一人ひとり努力の基準を高めてもらいたいと思っています。
ミランジーニャのサイン入りユニフォームは、今も自宅に大切に保管しています。
責任と自覚を持ち、努力の基準を高めていく。
その大切さを教えてくれたのが、20歳でデビューしたあのキリンカップでした。
(構成:二宮寿朗)
堀池 巧(ほりいけ たくみ)
1965年9月6日、静岡県生まれ。順天堂大学在学中の'86年、キリンカップのブレーメン(西ドイツ)戦で日本代表デビュー。その後も主に右サイドバックで活躍し、'93年のハンス・オフト監督体制の時に「ドーハの悲劇」を経験するなど、国際Aマッチ58試合、2得点。'99年に現役を引退し、サッカー解説者を経て、'15年より母校の順天堂大学スポーツ健康科学部准教授および蹴球部監督を務める。