スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
「神の子」トーレスと2度目の別れ。
A・マドリーとの蜜月が幕を閉じる。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byGetty Images
posted2018/04/26 08:00
リバプールを出て以降苦しいキャリアが続くフェルナンド・トーレスだが、それでも2015-16シーズンには二ケタ得点を決めて見せた。
トーレスの復帰を願ったのはシメオネだった。
トーレスが7年半ぶりにアトレティコ復帰を果たしたのは、2015年1月のこと。当時はチェルシーで戦力外となり、レンタル先のミランでも早々に居場所を失っていたところだった。
そんな彼の復帰を強く望み、半年がかりで実現させたのがシメオネである。
「彼の復帰と共に、我々はクラブへの帰属意識を取り戻すことができる」
当時繰り返していたその言葉通り、シメオネはクラブ生え抜きのアイドルとして絶大な人気を誇るトーレスに対し、純粋なる戦力としてだけでなく、クラブとチーム、ファンの結束を強化する象徴的な存在となることを期待していた。
しかし、指揮官が求めた存在感、その背景にある周囲の強すぎる“トーレス愛”こそ、2人の関係を悪化させる要因となってしまったのだから皮肉なことだ。
トーレスの復帰以降、ビセンテ・カルデロンのスタンドは彼がウォーミングアップを始めるだけで沸き上がり、ピッチに立てばファンもメディアも彼の一挙手一投足に注目するようになった。
そこまでは良かった。だがトーレスがベンチを温めるたびに人々が彼の起用を声高に求め、それが時に選手起用に対する批判にまで発展し始めたことで、徐々に指揮官は周囲の過剰なトーレス贔屓を重荷に感じるようになっていったのである。
両陣営の溝は傍から見ても明確に。
数週間前にはトーレスが所属する代理人企業「バイーア」の広報アントニオ・サンスが「私なら明日にでもシメオネを解任する。アトレティコは退屈で、2選手の獲得に1億ユーロも費やしておいて2位にしかなれない」と痛烈に批判したことも話題になった。
こうした流れの中で飛び出したのが、グリエスマンとの比較を使った先述の質問だったのである。
シメオネが発した「ノー」について、トーレスは「シメオネの発言は関係ない。これは多くの理由から至った決断だ」と説明している。一方で「来季の構想に入っていないのであれば、前もって直接話して欲しかった」「シメオネとの関係は良くも悪くもない」とも話しており、指揮官とのコミュニケーションが薄れつつあったことを窺わせた。