草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
その瞬間、竜も虎も1つになった。
「松坂の22球」が起こした奇跡とは。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2018/04/26 07:00
7回2死満塁のピンチで代打・上本を三振に取り、ガッツポーズ。ただ、打線が3安打で1点しか奪えず、今シーズン2敗目を喫した。
豊橋市民球場での、ある出来事。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」
「俺たちの松坂」はがんばっている。
記念撮影を済ませ、最高の笑顔で帰って行った。松坂からすれば見たこともなかった「同学年」。しかし、向こうはそれだけのつながりで誇りに思い、それだけの理由で応援してくれる。「○○世代」という呼称が広まったのは松坂からだが、その結束力(?)は他の世代を圧倒しているのではないか。
あの日、あのとき、スタンドで声をからしていた中には、こうした「松坂世代」もたくさんいたことだろう。家庭を背負い、職場での責任も増し、なかなか疲れが取れなくなったなと思うようにもなった。でも「オレたちの松坂」は、目の前のピンチにもがんばっているじゃないか……。