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マスターズで敗者たちは何を得たか。
ファウラー、松山らが持ち帰るモノ。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAFLO
posted2018/04/10 07:00
20代最後のマスターズで、大きな手応えを得たリッキー・ファウラー。彼を「敗者」と括ることは果たして正しいだろうか。
「よく頑張ったなと思います」
「よく頑張ったなと思います」
日頃から自分に厳しい松山の口から「よく頑張ったな」と自身への褒め言葉が出たのだから、彼の戦いは想像以上に苦しかったのだろう。
そこを乗り越え、最終日には3アンダーで回って19位になったこと。それは優勝という結果を出したかどうかというアングルから見れば、勝者はリードただ1人で、ファウラーやスピース、マキロイと同様、松山も敗者には違いない。
だが、「成功と失敗は本人の中でしかわからない部分があると思う」と言った松山の言葉から、彼が今年のマスターズで掴んだ手ごたえが伝わってきた。
「敗者」と「失敗」は違う。
長い人生、山もあれば谷もある。山の頂きに居続けられればコトは簡単。だが、勝者はたった1人だけである以上、誰にとっても敗者になる確率のほうが格段に高い。となれば、山への登り方のみならず、谷に落ちそうになったときの踏み留まり方を知ることの重要性はきわめて大きい。
敗者が掴んだ手ごたえは、谷底まで落ちないよう踏み留まり、そこから浮上していくための術なのではないか。その術を知ることができれば、「敗者」であっても「失敗」ではなく、「成功」と言える部分もある。松山はそう感じていたのだと思う。
敗者が喫した悔しさは、敗者が得た手ごたえによって、いつか必ず癒される。そうなれば、敗北は成功の始まり。そのときこそ、敗者は勝者になる。