ROAD TO THE DERBY 2018BACK NUMBER
新人調教師がいきなり挑むクラシック。
ケイティクレバーと安田翔伍の“縁”。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2018/04/04 07:30
35歳と調教師としては若手に入る安田翔伍氏だが、馬とのつき合いは長い。いきなりのクラシック制覇が実現するのだろうか。
才能を発揮させられなかった苦い記憶。
デビュー2戦目で勝ち上がると5連勝。アンタレスSを制し、一気に重賞ウイナーとなった。しかし……。
「能力はあったけど、ゲートの中でジッと立っていられないなど、気性面の難しいタイプでした。そのあたりで苦労して、結局GIを勝たせてあげることはできませんでした。『この馬の潜在能力はこんなものではない』って思ったけど、僕自身の経験が足りなくて出世させてあげることが出来なかったんです」
だから次に大物と出会えた時は同じ轍を踏まないようにと、懸命に努力をした。勉強もした。先輩や現役のジョッキー達にもアドバイスを求め、ホースマンとして一歩でも前へ進めるように精進した。
そんな時、2頭の名スプリンターと次々出会った。共に短距離で時代のトップに君臨したその馬は、1頭がカレンチャンであり、もう1頭がロードカナロアだった。
「とくにロードカナロアは最初に速い追い切りで乗った時からモノ凄い素質を感じました。この馬を出世させられなかったらフィフティーワナーの時と同じになってしまうと思いました」
ロードカナロアが調教師になるきっかけ。
ロードカナロアは12年のスプリンターズSで1番人気のカレンチャンを差し切って優勝。続く香港スプリントも地元の快速馬達を退けて制覇。当時、日本馬にとって凱旋門賞より高き壁と思われていた同レースを制すると、なんと翌'13年には高松宮記念、安田記念、スプリンターズSと出走したGIをことごとく制覇。再び海を越えた香港で、香港スプリント連覇の偉業も達成。それも1200メートルという短距離戦にも関わらず、2着に5馬身もの差をつけて圧勝してみせたのだ。
このロードカナロアの活躍は、翔伍の気持ちに1つの変化をもたらした。
「それまでは調教師になろうという気はありませんでした。父が苦労しているのを目の当たりにしていたし、自分自身、馬に乗ることが大好きでしたから……。でも、カナロアと香港へ行った時、調教師という立場になって、こういう檜舞台に管理馬を送り込みたいと考えるようになりました」