太田雄貴のEnjoy FencingBACK NUMBER
学校でフェンシングが超盛り上がる!
太田雄貴が目指す夢の「フェス」。
text by
太田雄貴Yuki Ota
photograph byTakanori Tsukiji
posted2018/03/26 08:00
第9回太田雄貴杯は、今年2月に港区スポーツセンターで開催。小学生の男女94名による熱戦が繰り広げられた。
この大会から巣立った選手が世界レベルに。
9年前にこの大会を始めたときはまだ23歳、大会としてうまくできたところもあれば、まだまだ至らないところもありました。
たとえば第4回まではいろいろな体育館、区のスポーツセンターなどで開催していましたが、第5回は池袋のサンシャインシティ噴水広場に場所を変えました。より多くの人に見ていただこうと思ったからです。
確かにいろいろな方に見ていただけましたが、会場のスペースの問題もあって団体戦のみの開催となりました。子供たちからは「やっぱり個人戦に出たい」との声も上がりましたし、全体として参加人数も絞らざるをえませんでした。この大会をどのような形に持っていけばいいのか。試行錯誤は今も続いています。
それでも、たとえば第1回、男子個人の部でベスト4に残った選手の中には、敷根崇裕、鈴村健太、西藤俊哉の3人がいました。いずれも現在、世界トップレベルの選手へと成長を遂げています。
いつかこの子供たちが強くなってくれたらな、と思ってはいましたが、これほど早く世界の舞台で活躍してくれるとは想像していませんでした。自分たちが思っている以上に下の世代は上が何をしてきたかを見ているし、育ってくれるんだな、と確認できた。この大会をやってよかった、と思える出来事のひとつでした。
最初は嫌いだった、子供への指導。
また、大会自体は経験者が出場しますが、まったくフェンシングをやったことのない子供たちのための「はじめてフェンシング教室」の開催もつづけています。
実は……この「はじめて」教室、最初のころは、あまり好きではありませんでした。
なぜなら、子供たちは「私のことを知らない」からです。
大人は「五輪メダリスト太田雄貴」を知っているので、私の言葉に耳を傾けてくれますが、子供たちはそんなことは関係ありません。お茶の間の「今」の話題が大事ですし、目の前の私が何をしてくれるか、そこに純粋にフォーカスしている。
そして私は、うまく彼らの注目を集め、教えることができなかった。
簡単に言えば、私は子供たちに教えるスキルを持っていなかったのです。
当時、私は「フェンシングに関わることは私が1番だ」と思っていました。でもそのプライドがズタズタにされるほど、何もできませんでした。