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ブッフォンの代表復帰に「NO!」。
混迷するアズーリの明日はどっちだ。 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byGetty Images

posted2018/03/22 08:00

ブッフォンの代表復帰に「NO!」。混迷するアズーリの明日はどっちだ。<Number Web> photograph by Getty Images

ブッフォンの経歴に、多くの国民が手放しの敬意を抱いている。しかし今回ばかりは、風向きは逆のようだ。

マルディーニやバッジョを育てた手腕。

 育成年代コーチとしての長い下積み時代を経て代表監督に就任したヴィチーニは、自ら手塩にかけて育てた若手たちを次々にA代表デビューさせた。

 彼ら総勢26人の中にはGKゼンガを初め、DFマルディーニやMFドナドーニ、FWロベルト・バッジョやFWスキラッチなど錚々たる名前がこれでもかと並ぶ。

 8年ほど前、代表のテクニカル・ディレクターを務めていた生前の彼に、インタビューをする機会に恵まれた。

 W杯1990年大会当時、ローマ郊外の合宿地まで沿道を埋める人の海に何万、何十万とイタリア国旗が舞っていた光景が忘れられないこと。

 準決勝イタリア対アルゼンチン戦の国営放送中継で記録され、今なお破られていない歴代最多視聴者数を誇らしく思っていること。

「国民全員の代表監督」と慕われた彼は、穏やかな語り口で地元開催の熱狂と思い出話を語ってくれた。

当時のイタリアの強さは「絆だ」。

 どうしても聞きたかったのは、当時のイタリア代表の強さの秘密だ。

「それは絆だ」と名将は言った。

「昔も今もフィジカルやテクニックで優位を持てないイタリアが強豪たりえたとすれば、それは選手たちや監督との間に確かな結束があったからだ。若く未熟な頃に苦楽をともにした仲間たちとの絆は、大人になっても揺らがない。私は彼らの絆が生みだす力にかけたのだよ」

 達観の域にあった彼は「歴史上、イタリアのサッカー界が平穏だったことなど一度もない」と微笑していた。

【次ページ】 ブッフォン「呼ばれれば応じる責任が」。

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