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井山七冠の幼馴染がフッキ封じ!?
川崎のクレバーな雑草、登里享平。
posted2018/02/19 07:00
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
Getty Images
「凄いですよね。孔舎衙(くさか)から、国民栄誉賞が出るんですから」
そう声を弾ませていたのは、川崎フロンターレの登里享平だ。
いったい何の話題なのかというと、将棋で永世七冠を達成した羽生善治とともに国民栄誉賞を授与された、囲碁の井山裕太のことである。
実は登里は、2度の七冠独占を果たした囲碁界のトップ棋士と大阪府東大阪市の同郷で年齢も1歳差。小学校は違うが、同じ孔舎衙中学校に通っていたため、少年時代から顔馴染みだったという。
「孔舎衙東小学校と孔舎衙小学校があって、両方とも距離は離れていないんです。田舎なので、30人で3クラスぐらい。そこから孔舎衙中学校に入るんです。井山くんは、小学校のときから有名でしたね」
中学卒業後、登里は香川西高校に進学し、その後は川崎フロンターレに。一方、中学生でプロ棋士となった井山は、棋戦で活躍し始める。
お互いに違う道のプロとして歩み始めていたが、2010年に行われた「第16回アジア競技大会2010広州」で再会を果たす。登里が男子サッカー、井山は囲碁競技の男子団体戦に出場して、偶然に出くわしたのである。
車屋の出場停止で上海上港戦に先発。
あの再会から約8年が過ぎた。
その井山が首相官邸で国民栄誉賞を授与された2月13日、登里はJ1王者・川崎フロンターレの一員としてアジアの頂点を目指す戦いに臨んでいた。
AFCチャンピオンズリーグ初戦・上海上港戦、登里は左サイドバックで先発している。日本代表・車屋紳太郎のいるポジションだが、昨年のACL準々決勝浦和戦(第2戦)の退場により、この初戦は出場停止。そこで登里に出番が巡ってきたというわけだ。
「けっこう緊張してましたよ。ゼロックスで出ておきたかったというのもありましたけど、しっかりと試合に入るように。そこは意識してました」