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原大智「金メダルを取れたのに……」
男子モーグル初の銅もただの通過点。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2018/02/14 12:30
東京・渋谷出身の原。東京都からの冬季五輪メダリストは初となる快挙でもあった。
なぜ「モーグル」の知名度は上がったか?
五輪という競技大会の意義を正面から見つめてきた。
「オリンピックは4年に1度で、モーグルを知らない人も知る機会になる舞台。僕は特別な大会だと思っています」
原が言うように、日本におけるモーグルの知名度は、'92年アルベールビル大会で五輪正式種目になってから6年後の'98年長野五輪で里谷が金メダルを獲得したことで、飛躍的に上がった。
さらに、多くの人に注目される競技となった理由としては、里谷とともに出場した長野五輪で7位入賞を果たした当時18歳の上村愛子の存在も大きかった。
堀島行真の存在が、原を成長させた。
長野五輪でのブレーク後、里谷は'02年ソルトレークシティー五輪で銅メダルを獲得し、'06年トリノ五輪、'10年バンクーバー五輪にも出場。
上村はソルトレークシティー五輪6位、トリノ五輪5位、バンクーバー五輪4位、ソチ五輪4位とつねにメダルに挑み続け、出場した全五輪で入賞した。
上村の全盛時に出てきた伊藤みきも、世界選手権でメダルを獲り、日本女子モーグルの歴史をつないだ。
長らく女子に水をあけられていた男子がのろしを上げたのは、原の1学年下である堀島行真(中京大2年)がきっかけだ。
昨年の世界選手権で2冠を達成した期待の星は、平昌五輪に向かう男子モーグル界を活性化させ、原も刺激を受けた。
「堀島行真のことは、僕が公式戦デビューしたときから知っていた。向こうはすごくうまくて、僕は予選を通過すらできていなかった。負けたくないなという思いが強かった」
堀島の存在が原の急速な成長にもつながったのだ。