プロ野球列島改造論BACK NUMBER
打倒巨人に燃え、阪神で革命を……。
ダンカンの極私的・星野仙一の記憶。
text by
ダンカンDankan
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/01/28 07:00
阪神タイガース時代、“鳥かご”裏での星野仙一監督。盟友・田淵幸一チーフ打撃コーチ、解説者などで活躍していた川藤幸三氏の姿も。
監督や球団フロントに、オフシーズンは無い!
「あ、ストーブリーグですか?」
「そや、ストーブリーグや。グラウンド以外のフロントも含めた球団全体でのリーグ戦、また別の戦いがそこから始まるんや。ドラフト・トレード・新外国人の獲得などで必死に戦う場なんや。
ペナントとストーブの両方が力を合わせてはじめて優勝が狙えるんや。ダンカン、何十年も阪神ファンやってたら思い当たるところがあるやろ?」
その言葉は、まるでアイスピックで心臓を一刺しされたような冷たい痛みを、俺の中に走らせた。グラウンドはさておき、ストーブリーグを阪神は全力で戦ってきただろうか。ドラフトでの入団拒否を恐れて安全パイでお茶を濁していなかったろうか。大物新外国人選手に真剣に挑んできただろうか……。
阪神のベンチだけでなく、フロントも改革してくれた。
有言実行、星野仙一は阪神に来るや否やフロントにおいても数々の改革を成し遂げ、2年目の2003年には18年ぶりのリーグ優勝をもたらすのだった。
ちなみにそのシーズンは、打線の核となる当時広島の金本知憲を獲得(2002年)するという大技をきめていた。
これは長い時間をかけて口説いたように見えて実際は星野さんのたった一本の電話「なあ、金本。阪神来いよ」にたった一言の返事「はい」で決定、というのが真実である。いかにも星野さんらしい。
話は前後するが2002年のオフ、偶然ある空港で星野さんとバッタリ会った。その春からすっかり星野イズムが浸透して「戦うストーブリーグ」で燃えていた俺は挨拶もそこそこに、
「下柳です! 日本ハムでくすぶっている下柳を獲りましょう。あの左腕は鉄人です。一匹狼的雰囲気、いや一匹虎的雰囲気も今の阪神には絶対に必要だと思います!」
と、星野さんの目の前でまくし立ててしまったのである。