ぶら野球BACK NUMBER
松坂大輔は少年ジャンプの主人公だった。
「50歳までマウンドに」と語った頃。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAFLO
posted2017/12/22 07:00
横浜高、西武、レッドソックス、侍ジャパン。当時の好投を知っていれば、松坂大輔という文字だけで湧き上がる想いがあるのだ。
「僕、桑田さんの後をついて歩きたかったです」
【『声 Voice of Dice-K 松坂大輔メジャー挑戦記』(石田雄太著/集英社/2008年3月19日発行)】
その弟キャラの松坂が師と慕うのが桑田真澄の存在だ。こちらの一冊では、レッドソックスのチームメイト岡島秀樹も交えた交流の様子が書かれている。死にたいくらいに憧れた背番号18。なんとカップルが愛を語らうはずのバレンタインデーにフロリダの高級ホテルで桑田と食事をして無邪気に言う。
「僕、桑田さんの後をついて歩きたかったです。小さい頃からそれを思ってやってきてましたから」
1980年東京生まれで巨人ファンだった松坂にとって、KKコンビは小さい頃からのヒーローだ。その桑田も'07年からピッツバーグ・パイレーツと契約し、39歳にしてメジャーデビューを飾っていた。
桑田は8月中旬に球団から戦力外通告を受けると、わざわざニューヨークまで足を運び、ヤンキース戦に先発した松坂の投球を観戦した。試合後はマンハッタンの和食店で食事をしながら、同点の終盤に2ランアーチを打たれた弟分に対して「6回までは3失点に抑えて、ちゃんとゲームを作っているんだから、それは先発ピッチャーとして胸を張っていいんだよ」と優しく励ます。甲子園優勝投手で10代の頃からメディアに騒がれ続けたふたりには通じるものがあったのだろう。
松坂の魅力は自由さ、明るさ、太々しさだった。
松坂は言う。
「17歳の時には僕なりに『甲子園で凄いことをしたんだ、みんなが驚くようなことをしてしまったんだ』っていう意識はあったんです。これだけ騒がれて入るんだから、周りが期待している以上のものを出さなきゃいけないだろうっていうふうには思ってましたね」
周囲が求める平成の怪物という幻想。それに応えようとする青い春。
……と言いつつも、高校時代は“サボりのマツ”と呼ばれ、甲子園では空いた時間にゲームセンターやボウリングで遊んでいたという自由奔放な一面も併せ持っていたわけだが。
そう、松坂の魅力と言えば、あのキラキラした「自由さ」と「明るさ」だった。心から野球を楽しんでいるといった感じの笑顔。高卒入団でいきなり最多勝獲得。お立ち台で「自信が確信に変わりました」とか言っちゃう太々しさ。年功序列なんて関係ないと言わんばかりに強打者たちに向かっていく姿はまさに同世代のヒーローだった。