ぶら野球BACK NUMBER
松坂大輔は少年ジャンプの主人公だった。
「50歳までマウンドに」と語った頃。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAFLO
posted2017/12/22 07:00
横浜高、西武、レッドソックス、侍ジャパン。当時の好投を知っていれば、松坂大輔という文字だけで湧き上がる想いがあるのだ。
イチローとの対決、バリテックとの不仲報道。
メジャーデビューのロイヤルズ戦は7回1失点10奪三振で初勝利。地元ボストンのフェンウェイ・パークで“Dice-K”初登場となったマリナーズ戦では「特別な人。僕の能力を引き出してもらった」というイチローと対戦した。
これ以外も投げる試合すべてがトップニュースになる過熱ぶり。そんな喧噪の中でチームメイトのオルティスからホームパーティーに招待されたことを喜び、同い年の主力投手“松坂世代”ベケットとのゴルフ交流を楽しみ、バッテリーを組むバリテックとの不仲報道を笑い飛ばす。松坂が当時のレッドソックスでどう過ごしていたか伝わってくる。
そして地区優勝を決めた9月28日、松坂はこの日、日本で引退試合だった西武時代の兄貴分・石井貴のTシャツをクローゼットから捜し出し着ていたという。
松坂は典型的な「弟キャラ」なのだ。
ワールドシリーズでは同じく西武時代の先輩、ロッキーズに所属する松井稼頭央と対戦した。西武入団当初、初めて食事に誘ってくれたのが松井だった。カツオのたたきが絶品でおいしくて驚愕。今まで食べていたカツオのたたきはなんだったんだと“プロの一流の味”に驚く10代の記憶。
こうして読み進めると、松坂は典型的な「弟キャラ」だったことに気付かされる。
年上と接し、年上に向かっていくことで自分を成長させてきた。そう言えば“ともちゃん”と呼ぶ妻の倫世さんも6歳上の姉さん女房である。子どもの頃はサッカーの三浦知良の海外挑戦に夢を見て、プロになると石井貴や松井稼頭央に可愛がられ、イチローや中村紀洋と対戦することに喜びを見出す。
いわば早熟の天才だった平成の怪物。
ちなみにプロ生活19年で日米通算164勝を挙げているが、うち154勝は20代までに記録したものだ。