“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
谷口彰悟と車屋紳太郎はずっと一緒。
幼稚園、高校、大学、川崎、代表。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/12/12 11:10
2012年、母校・大津高校の応援に来ていた大学時代の2人の風景……写真左端、ピッチに近いところで応援を指揮する車屋と、太鼓を叩いて応援を盛り上げていた谷口(右端)。
ボランチからサイドバックに変わって車屋が化けた!
谷口が高3、車屋が高2になった頃には、不動のダブルボランチとして2人はチームの心臓となっていた。
しかし、インターハイ直前に大きな転機が訪れる。
チームの左サイドバックのレギュラーが負傷したことで、1年のときからボランチだけでなく、どのポジションもそつなくこなしていた車屋のユーティリティーさが買われ、左サイドバックにコンバートされることになったのだ。
これが車屋にとって重要なターニングポイントとなった。
2009年に奈良で開催されたインターハイで、彼は水を得た魚のように素晴らしいプレーを見せたのだ。
この大会、筆者も大津高校の快進撃を取材していた。
当時チームには谷口、車屋、GK藤嶋以外にも澤田崇(V・ファーレン長崎)らがおり、優勝候補の一角となっていた。チームそのものが強いことは分かっていたが、筆者の目には左サイドバックでプレーする2年生の存在が大きな驚きとして映っていた。
車屋と谷口の連係プレーを初めて見た時の衝撃。
車屋が本来、ボランチやトップ下だったことは知っていた。ただ左サイドバックという新たなポジションだったにもかかわらず、絶妙なタイミングのオーバーラップと正確なクロスをポンポンと上げていたのだ。
さらに、最終ラインでボールを受けてから、独特のボールタッチでスルスルとドリブルでボールを前に運んでいく様に、彼のポテンシャルの高さを感じた。
守備面も機敏で、攻めから守りへの切り替えも早く、1対1も強い。
そしてさらに興味を持ったのが、その車屋の動きを絶妙にコントロールしていたボランチ、谷口の存在だった。
車屋は常に谷口のポジショニングに目を配っていた。谷口も車屋が上がるべきタイミングで「紳太郎!!」と声をかけてオーバーラップを促したり、2人でワンツーをしながら左サイドを突破していくなど、その緻密な連係は高校生離れしていた。