オリンピックへの道BACK NUMBER
あの宮原知子がついに帰ってきた!
羽生欠場も見所が多かったNHK杯。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2017/11/13 11:50
体力的にはまだまだと言いながらも、宮原の、その1本1本の指先まで美しく表現された演技は流石。完全復活が待ち遠しい。
練習量は2割、体力面でもまだ7割程度だった宮原。
再度故障が生じる恐れが判明したため、7月頃から9月まではジャンプの練習を禁じた。再開したのは10月に入ってからだが、1日に2本という限られた回数でのスタートだった。現在も1日10本程度に抑えている。
「もともとのジャンプの練習量からすれば、2割程度」(濱田コーチ)
体力面も戻せていない。宮原は自身の状態についてこう話す。
「7割くらいかなと思います」
濱田コーチが出場させるかどうかぎりぎりまで迷ったのが理解できる状態にあった。
それでも濱田コーチは評価する。
「出してよかったなと思いました。もっとできないと思っていました。結果的にはよかった」
宮原も一定の感触を得たことをうかがわせた。
「今の段階としてはまずまずのことができたのでそれはよかったと思います」
さらにこう語った。
「今までみたいに、足が震えるとかがなかったです」
自身の変化に手ごたえがあったからだ。それは大会を前にしての抱負、「去年とは違う、変わったなと思われる自分の姿を見せたいです」を形にした一片でもあった。
「新しい友達がたくさんできました」(宮原)
宮原にとって、昨シーズンの欠場は自らを見直すきっかけであった。
4月は平日、東京・西が丘のJISS(国立スポーツ科学センター)に滞在し、週末は京都に帰宅という生活を送りながら、リハビリに励んだ。その過程で、長年の節制により根本的に栄養が足りないことが分かり、医師からはその面でアドバイスされた。
JISSでは管理栄養士のもと、特にカルシウム、ビタミンなどに配慮しつつ改善に務めた。JISSでの日々が終わった7月からは管理栄養士をつけ、学びながら食生活の変化を継続させた。
JISSには、さまざまな競技の選手たちが泊り込みで、あるいは通いながらリハビリに励んでいた。彼らと接することで、心は徐々に前へと向いた。
「あまり辛いなとはならず、毎日ポジティブに過ごしていました。新しい友達がたくさんできました」
スケートから離れる時間の中で、映画や音楽鑑賞など、今までにない時間も過ごすことができた。
「いろいろなものに触れてみようと思うようになったのがよかったです」