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宮原知子、五輪シーズンの決意。
自分を変える勇気が新しい強さに。
posted2017/11/10 08:00
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
Asami Enomoto
だが、リハビリの過程で身も心も一回り成長を遂げた。
自信作のプログラムを武器に、強い気持ちで氷上に立つ。
NHK杯を前にNumber938号(2017年10月26日発売)より全文転載します!
19歳で迎えた今夏のある日。身長を計ると2cm伸びて151cmになっていた。体重も、最低だった時より4kg増えている。「やった!」と心の中でつぶやく。
「友達からは、骨に栄養がやっと行き届いたんだねと言われました。体格そのものから力強くなった感じがあります。今年はダイナミックな踊りが出来そうです」
1月に股関節の疲労骨折が発覚し、リハビリのため身体を休ませ、筋肉を緩めた。すると急に成長が再開したのだ。子供の頃からハードな練習で身体を締め付けていた証拠でもある。オリンピックを目指すこのシーズン、文字通り“一回り大きくなった”宮原知子が、氷上に戻ってくる。
左脚に違和感を感じたのは昨年12月6日、フランス・マルセイユで開かれるGPファイナルに向かう日だった。普段の疲れとは違う痛みだと感じながらも、「本番は大丈夫」と自分に言いきかせながら、見事に銀メダルを獲得した。
痛み止めを飲んでも、練習量は減らさなかった。
病院の検査で筋膜炎と診断されたため、12月末の全日本選手権までは痛み止めを飲みながら、1日4~5時間の練習量を減らそうとはしなかった。
「一番頑張る時期でしたから、我慢してました。筋肉の痛みならお正月に休めばいいから『気のせいだ』と思うようにして滑っていたんです」
全日本選手権を3連覇し、年始に3日間休んだものの、痛みが治まらない。再検査すると、疲労骨折と診断された。
もともと練習の虫の宮原だが、練習量だけが原因ではなかった。長年にわたる栄養不足で血液状態が悪く、骨密度が低下していたのだ。骨折そのものよりも、健康面でドクターストップがかかる状態だった。
2月の四大陸選手権は棄権を決定。世界選手権がある3月になっても痛みは増した。
「自分のなかでは、世界選手権なので『行きたい、行けるんじゃないか』という気持ちはありました。でも追い込んだ練習が出来ないなら、オリンピックの枠取りのこともあるし、自分のためにも日本のためにもならない。棄権することにしました。棄権を伝えてから3日間くらいは、しばらく呆然としていました」