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あの宮原知子がついに帰ってきた!
羽生欠場も見所が多かったNHK杯。

posted2017/11/13 11:50

 
あの宮原知子がついに帰ってきた!羽生欠場も見所が多かったNHK杯。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

体力的にはまだまだと言いながらも、宮原の、その1本1本の指先まで美しく表現された演技は流石。完全復活が待ち遠しい。

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph by

Asami Enomoto

「おかえり!」

「知子ちゃん!」

 観客席からばかりではない。関係者席で試合を見学する選手たちからも声援が飛び、会場は拍手に包まれた。

 11月10日から12日にかけて大阪中央体育館で行なわれたNHK杯。10日の女子ショートプログラム、宮原知子がリンクに登場した場面は、今大会でも強い印象を残した。

 股関節の疲労骨折で昨年の全日本選手権ののちの大会を欠場し、約11カ月ぶりの実戦だった。

「やっとここまで来ることができたんだなと思いました」

 このように振り返ったショートプログラムは、冒頭の3ルッツ-3トウループの2つ目をダブルに切り替える機転で失敗を防ぐなどして、滑り終えた。6位。

 翌日のフリーでは、2つ目の3ルッツ-3トウループで回転不足を取られたものの着氷する。前半は順調な滑りを見せたが、後半、ダブルアクセルが回転不足となり、続く3サルコウが2回転に。フリーも6位、総合では191.80、5位となった。

「今の段階としては、まずまずのことができたと思います」

 ショート、フリーを終えた宮原は言う。

「練習通りでした」とも語る。

 だが、ここまでの過程を考えれば、よくぞここまで戻してきた――と言っていいだろう。

「この試合に出すか出すまいか、すごく迷っていました」

 NHK杯への出場自体、ぎりぎりまで未定の状態だった。

 濱田美栄コーチは言う。

「この試合に出すか出すまいか、すごく迷っていました。全日本選手権の前に1戦は出そうと思っていたけれど、1戦目に選ぶには舞台が大きすぎるのかなと思いました」

 決断したのは中国杯が終了し、濱田コーチが帰国してからだった。

 田村岳斗コーチと相談の上、出場を決めたのである。NHK杯開幕のまさに直前だった。裏返せば、それほど、試合に出るには仕上がりに不安があったことを意味する。

 実際、練習の過程と量は、本来とはほど遠かった。濱田コーチが語る。

「当初は、疲労骨折が治ればと思っていました。……言いにくいのですが、けっこう内科的なことがあって、また新たな怪我が出る兆候が見られたので、全日本から(スケジュールを)さかのぼって、ぎりぎりまで待ちました」

【次ページ】 練習量は2割、体力面でもまだ7割程度だった宮原。

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