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国民全員でセリエA誤審を糾弾!?
ビデオ判定の礎は“名物法廷番組”。
posted2017/11/05 07:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
セリエAでは、今季からビデオ判定システムの本格運用が始まっている。
だが、シーズンの4分の1が過ぎた今も誤審論争はなかなか絶えない。
10月8日、日曜の朝にアルド・ビスカルディというTV司会者が、享年86歳でこの世を去った。30年余の間、イタリアで最も有名なサッカー・バラエティ番組『月曜の法廷(Il Processo del lunedi)』の司会を務めた。
今でこそ世界中でありふれたものになっているが、“スロービデオ再生によって試合中の誤審疑惑を検証する”アイデアを約40年前にTV界で初めて用いた始祖は、ビスカルディその人とされている。
「ビデオ判定が導入されるまで、死ぬに死ねんぞ!」
日曜午後のスタジアムで完結するものだったサッカーを、ビスカルディは月曜夜の電波にのせてイタリア中のお茶の間に持ち込んだ。長身でダンディな彼がゲストとともに口角泡を飛ばす抱腹絶倒のサッカー討論ショー『月曜の法廷』は、判定の是非やプレーのディテールについて“サッカーを議論する楽しみ”を広く大衆にもたらした。
「サッカーにビデオ判定が導入されるまで、私は死ぬに死ねんぞ!」が、生前の口癖だった。
審判経験者ではないし、プログラマーでもマッチアナリストでもない。しかし、ビスカルディの存在抜きに、今日のビデオ判定導入はありえなかっただろう。
ナポリの地方紙記者だったビスカルディがイタリア国営放送RAIへ転職したのは、五十路を前にした1979年のことだった。ちょうど国営放送が新たに第3チャンネルを開設した頃だ。
新チャンネルの番組編成表はほぼ白紙状態で、視聴者層開拓のために後発としての斬新な企画が求められていた。彼らは新しいコンテンツとして大衆娯楽のサッカーに目をつけ、編成部で働いていたビスカルディをプロデューサーに就けた。
サッカーを伝える電波メディアが、まだ試合当日のラジオ実況と結果のニュース報道しかなかった時代の話だ。そこにビスカルディは“サッカー・バラエティ”というまったく新しいジャンルを創り出した。
日曜に行われたリーグ戦のレフェリーの出来不出来を翌日に裁くから、新番組タイトルは『月曜の法廷』とした。'83年からは、他人には任せておけぬ、とビスカルディ自ら司会のマイクを握った。