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幻の最強打線はペタ、カブ、ラミ!?
プロ野球伝説の国際スカウトの秘話。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2017/10/23 11:00
2001年2月。来日したばかりのヤクルトスワローズの新外国人選手、アレックス・ラミレス選手。
笑顔のラミレスか、それとも筋肉のカブレラか……。
2000年シーズン途中、ラミレスがパイレーツへトレードされ、ペナントの重要な試合で落球してから首脳陣の信頼を失い干されていると情報を得た中島氏は、ここぞとばかりにラミレス獲りへ動く。だが、同時期に「ちょっとワガママだけど、とてつもないパワーヒッターがいる」と売り込まれたのが、のちに西武で55本塁打を放つアレックス・カブレラである。
マイナーリーグで長打率.851と驚異のパワーを見せつけていた筋肉スラッガーか、それとも数年前から知っていたラミレスか――。
正直、ふたりとも欲しい。
けど、当時のヤクルト助っ人には “松井秀喜のライバル”と呼ばれたロベルト・ペタジーニがいた。
こうして中島氏は、迷いながらも自分に笑顔で挨拶してくれたラミレスを獲得するのである。そのセ界一性格のいい男は13年間で3球団を渡り歩き通算2017安打を放つと、'16年からDeNAの監督を務めている。
夢の「3番ペタジーニ、4番カブレラ、5番ラミレス」。
ちなみに、NPBの外国人枠で現行の「野手3名、投手1名」起用が可能になったのはこの1年後の2002年のことである。
仮に制度が1年早く変わっていたら神宮で「3番左翼ペタジーニ、4番一塁カブレラ、5番右翼ラミレス」というNPB史上最強の助っ人クリーンナップが誕生していたかもしれない。
ほんのわずかな差が運命が決める外国人選手獲得の舞台裏。
中島氏が巨人で仕事をした'09年は、オリオールズ傘下の3A、ノーフォーク・タイズにいたデニス・サファテに高評価をつけ上層部に報告書を出すが、当時の巨人ではマーク・クルーンがストッパーを務めていたため獲得を見送る。この逸話を読んでファンはマシソンとサファテの最強ブルペンが東京ドームで実現していたら……なんて妄想するわけだ。