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幻の最強打線はペタ、カブ、ラミ!?
プロ野球伝説の国際スカウトの秘話。
posted2017/10/23 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Kyodo News
テレビをつけると、ラミレス監督率いるDeNAが広島とCSファイナルステージを戦っていた。
それにしても16年前、26歳の彼が初来日した時に将来はプロ野球チームの監督をやるなんて、誰が想像しただろうか?
だが、日本ではまったくの無名選手だったラミレスを「とてつもなくフレンドリーな性格、他の選手にはない唯一無二の魅力」と評価していた男がいた。
当時ヤクルトの国際スカウト業務を務めていた中島国章氏である。
1952年生まれの中島氏は南海ホークスで通訳を担当したのち、'73年にヤクルト球団へ入社。編成部次長、国際部部長として数々の外国人選手獲得に携わりヤクルトの5度の日本一に貢献する。2005年から12年は巨人の国際部で辣腕を振るった。
その争奪戦のど真ん中にいた中島氏の語る、なかなか表に出ることがない歴代名助っ人の獲得秘話や裏話は強烈だ。
「神様ランディ・バースはヤクルトのユニフォームを着ていたかもしれない」とか「ラミレスとカブレラのどちらを獲得するか迷った」なんて、野球ファンなら驚きのネタの数々。
今回の『ぶら野球』コラムでは、いわばプロ野球助っ人史の生き字引とも言える国際スカウト中島氏の著書の数々を読んでみよう。
現役バリバリのメジャーリーガーが、まさかの来日!?
【『プロ野球通訳奮闘記』(中島国章著/NHK出版/1994年11月25日発行)】
'90年代前半まで、アメリカの選手たちからしたらNPBは未知の世界だった。
野茂英雄のトルネード革命前夜、もちろんイチローや松井も渡米前の話である。
日本の野球ファンにとっても、大リーグは海の向こうの別世界の出来事。人気ゲーム『ファミスタ』の反則的に強い“メジャーリーガーズ”が唯一の接点。そんな時代に、ひとりの超大物助っ人が日本球界へとやってくる。
1987年のボブ・ホーナー旋風である。