野球のぼせもんBACK NUMBER
井口資仁は王貞治元監督の志を継ぐ。
行く先々で優勝し続けた男の本質。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2017/10/11 08:00
1996年、ダイエーへの入団発表後に、当時の王監督と写真撮影に応じた井口。
「未来のホームラン王」ではなく「意外性の打者」!?
'97年5月3日、デビュー戦で衝撃の満塁弾。新人選手が初出場試合でグランドスラムを記録したのはプロ野球史上初の快挙だった。
'99年9月25日の一発は、いまだに福岡では語り継がれている。
この日、ホークスは福岡移転後初優勝を飾った。地元福岡ドームでの日本ハム戦。4-4で迎えた終盤8回裏、決勝本塁打をやはり持ち味の右方向へ放ってみせた。
ホークスファンが埋め尽くしたライトスタンドは狂喜乱舞。球団として26年ぶり、福岡を本拠とするチームとしては西鉄ライオンズ以来36年ぶりの戴冠に、福岡の街は現在の広島にも負けないほどのお祭り騒ぎとなったのだ。
しかし若手時代の井口は、ファンの期待値ほどの安定した活躍は出来なかった。入団2年目に21本塁打をマークしたが、打率.221しか残せなかった。
時折、魅力的な長打は飛び出すものの、初優勝した入団3年目の'99年にしても.224とイマイチ。華々しいスタートから一転し、「未来のホームラン王」はいつしか「意外性の打者」と呼び名を変えられていた。
「本塁打のこだわりを捨てます」
そして、迎えた最大の転機は入団7年目だった'03年にあった。
「本塁打のこだわりを捨てます」
開幕前に淡々と話した井口は、開幕戦を7番で迎えたが、シーズン途中からは3番に定着。打線の中核を担って135試合に出場。打率.340、27本塁打、109打点という素晴らしい成績を残し、チームの日本一に大貢献したのだった。
大きな決断だったに違いない。
シーズン中は確かに目一杯バットを振り回すことをやめて、ミート重視、引きつけて右方向へ打つことを徹底的に心がけた。結果的に27本塁打を打ったが、それは流し打ちでもスタンドインさせる天性の長打力も手伝ってのことだった。