野球のぼせもんBACK NUMBER
井口資仁は王貞治元監督の志を継ぐ。
行く先々で優勝し続けた男の本質。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2017/10/11 08:00
1996年、ダイエーへの入団発表後に、当時の王監督と写真撮影に応じた井口。
井口が行く先々で、チームは優勝し続けた。
井口はその後、'05年にメジャー挑戦のため渡米。ホワイトソックスとフィリーズでそれぞれ世界一を経験した。
そして'09年から千葉ロッテマリーンズでプレー。復帰翌年の'10年に日本一となった。
井口の行く先々でチームが頂点に立つ。優勝請負人のような野球人生でもあった。
色々な役割を経験した。
ホワイトソックスでは2番打者として起用されたし、メジャー時代は故障もあってレギュラーから外されたこともあった。マリーンズでも'13年には23本塁打を放ったことがあったが、それ以外に20発を上回ったシーズンはなかった。また、2桁盗塁は一度もなかったし、'13年からは一塁手として起用されるようになった。
いつの頃からか、井口に代走を送られるシーンを見て、少し寂しさを覚えたものだ。
だが、井口はチーム事情や年齢とともに訪れる変化にその都度対応してみせた。
ただ、変わらなかったのは野球に対するひたむきな姿勢と、人一倍の練習量だった。
「井口さんは今だって速いなと思います」
マリーンズの荻野貴司は言う。
「今年のキャンプ中でも井口さんは毎朝早く来てウエイトをして、とにかくずっとマシン打撃をしていたのを覚えています。足だってめちゃくちゃ速いと思いますよ。特に切り返しのメニューがあるんですけど、僕よりも凄かったんじゃないですか。一応足には自信がある方ですけど、井口さんは今だって速いなと思います」
また、荻野はこんなことも言っていた。
「新聞で角中(勝也)が井口さんのことを『お父さんみたいな存在』って言ってるのを見ましたけど、それも分かりますね。ドシッとしてて、どこか余裕があって、いるだけで安心感がありました」