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戦争と競馬、天才騎手の運命。
前田長吉が導いたクリフジ伝説。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySadanao Maeda
posted2017/08/15 07:00
1923年2月23日、青森県生まれの前田は、20歳3カ月の最年少記録でダービーを優勝。翌'44年までに通算勝率3割3分9厘という驚異的な成績を挙げた。
誰よりも幸運で、誰よりも不運だった若き天才騎手。
2006年7月4日、DNA鑑定で本人と確認された前田長吉の遺骨が、青森県八戸市の生家に62年ぶりに「帰還」した。
海外で戦死した日本人は240万人。そのうち、前田の遺骨が帰還した当時のデータでは、半数近い115万人の戦没者の遺骨が海外に残されていた。国費によるDNA鑑定が2003年に始まってから06年6月までの間に、鑑定で身元が特定されたのはわずか271人。そのひとりが最年少ダービージョッキーだったのだから、奇跡と言っていい。
敗戦によって、軍需産業だった競馬がレジャー産業になってから、約70年。それでも、戦前も戦時中も今も競馬の形は同じで、クラシックや天皇賞などの歴史あるレースは、戦前から回数をカウントしている。
戦争と競馬が無関係になったわけではない。戦争があったから近代競馬が発展したという事実は、未来永劫変わらない。
戦火に翻弄され、誰よりも幸運で、誰よりも不運だった前田長吉という若き天才騎手がいたことを、これからも語りつづけたい。