スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
勝者ガトリンに“He is a doper!”
ボルトが善なら、悪役とされた男。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAFLO
posted2017/08/09 10:30
ボルトに勝利し、感無量の表情を浮かべるガトリン。しかし競技場に詰めかけたファンの対応は手厳しかった。
予選、準決勝、決勝とブーイング量は増していった。
負けたとはいえ、スタジアムの主役はボルトだった。ボルトは、予め定められていたかのようにスタジアムを1周し始め、本当は「ライトニング・ボルト」のポーズを取るはずだったのだろうが、封印せざるを得なかった。
その間、一瞬だけだったが、ガトリンの周りにカメラマンの姿はひとりとしていなくなり、観客も勝者である彼のことを完全に頭の中から排除したような瞬間があった。
ガトリンは、トラックの中で孤独だった。
世界選手権の“王者”だというのに。
ロンドンのファンは、予選の段階からガトリンに対して手厳しかった。それはちょっと、異様なほどだった。
ガトリンが紹介されると、観客は盛大なブーイングを浴びせた。その音量はボルテージが上がる準決勝、決勝と大きくなっていった。
ドーピング、ボルトのレーンへの唾吐きかけ……。
なぜ、これほどまでにガトリンは嫌われるのか。
イギリス人は、こう切って捨てる。
“He is a doper.”
乱暴に翻訳するならば、こうなる。
「ヤツはドーピング野郎だからな」
事実、ガトリンは2001年と2006年に二度も禁止薬物使用違反で出場停止処分を受けている。
しかも2006年の時には、永久資格停止処分が下される見込みだったが、米国アンチ・ドーピング機関への調査協力を約束したことで、8年に短縮された経緯がある(2008年になって処分は4年に短縮された)。
復帰後も、ガトリンは挑発的な態度を取っていたことが欧米では知られていて、『ウサイン・ボルト自伝』(集英社インターナショナル)では、復帰してきたガトリンがボルトと直接対決したとき、ガトリンはなんとボルトのレーンに唾を吐きかけた。
ボルトはそれを見て笑ってしまった……と述懐しているが、こうした細かいエピソードまで含め、ガトリンは「ヒール」(悪役)の役回りにならざるを得ない。
こんなことなら、丁重にもてなしてくれる日本への遠征の方が、はるかに気持ちがいいだろう。スポーツ・バラエティに出演し、9秒台の男としてもてはやされる。
日本はドーピングとは縁遠い国だけに、寛容なのかもしれない――。そう思ってしまう。
ロンドンの観衆にとって、ガトリンは「おもてなし」の範疇には当てはまらない選手、いや人間なのだ。