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ノーザンライト前文科大臣・馳浩。
11年ぶりのリング復帰に思うこと。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2017/07/28 11:30
56歳のジャイアントスイング。グレート・カブキ相手に20回も回してみせた馳。
馳浩の原点、カナダ・カルガリーでの修行時代。
私は、馳を若い時から、間近で見てきた。
1980年代のカナダ・カルガリーでの修行時代は安達勝治さん(リングネーム“ミスター・ヒト”)の家に居候して、ちゃんこを食べて、トレーニング・ジムに通い、車で試合場へ移動する毎日だった。
「科学的なレスリング」というのが、当時、いつも馳の頭にあった。
カルガリーの団体「スタンピード・レスリング」では、初めは“ベトコン・エキスプレス”という黒覆面の悪役というポジションだったが、そのレスリング・センスの良さがプロモーターのスチュ・ハートに認められて、めきめき頭角をあらわすこととなった。
馳は同世代だったスチュの息子のオーエン・ハートに刺激を受けた。
いや、互いに刺激し合ったと言った方が正しいだろう。
海千山千とも言えるミスター・ヒトの古き良き時代のプロレスと、若きオーエンの新時代のプロレス・センスの双方を、馳はカルガリーで吸収したのだ。
延々と続く……2人の若きレスラーのスパーリング。
ある朝、「いいところに案内しますよ」と言われて、馳の車に乗った。行き先は常設のスタンピード・レスリングの試合場だった。
客などいない。
薄暗くライトもついていなかったので、最初は中にいるのが、誰だかわからなかった。
そこに、オーエンが待っていた。
オーエンは着替えを終えると、リングのライトをつけて、馳とのスパーリングを始めた。
このスパーリングは終わりがないように続いた。静かなアリーナに2人の息遣いだけが聞こえた。
実戦を超えた技とテクニックの応酬。技が決まっても、決まっても、すぐに次の戦いが始まった。互いに納得がいくまでそのスパーリングは続いた。
確かに、いいものを見た――と思った。そこにはプロレスリングの未来を感じさせてくれるものがあったからだ。