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金本監督は恩師に「よう似とる」。
高代コーチが思い出す、ある逸話。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNanae Suzuki
posted2017/07/27 08:00
金本監督の隣で柔和な表情を見せる高代コーチ。かつて自分が育てた男が頼れる指揮官になったことを、彼はどう感じているのだろうか。
金本と三村は「何となく、……よう似とる」。
今、高代はベンチで指揮を執る金本を見ていると、あの日のことを思い出す。
「あれは僕と三村さんの間の会話だったんだけど、金本監督もそういうことを思っているんだろうな、というのは試合のあらゆる場面で感じる。何となく、……よう似とる」
勝利への執着は当然だ。ただ目先の勝負より、本物の強さを志向していく。1戦だけの体裁よりもチームの根幹を、1人1人の根っこを鍛えることに情熱を燃やす。そういうところが重なるというのだ。
中谷将大、北條史也、原口文仁……。金本は虎の穴でくすぶっていた若者たちの首根っこを捕まえて、甲子園という舞台に引きずり出した。そこで彼らに求めるのは本物の強さだ。
相手のストレートを打ち砕く力であり、止まらない足であり、折れない闘争心だ。だから、指揮官としてあの日の三村と同じような苦悩を抱えることにもなる。高代にはそれがわかるのだ。
「『俺だったら』というのは一切言わない」
今、金本も時々、試合後にこう聞いてくることがあるという。
「あの場面、バントですかね?」
そんな時、高代は答えを決めているという。
「監督が選択した以上はそれがベストチョイスだから。『俺だったら』というのは一切言わない。監督はすごく勉強しているし、今、一番苦労している指揮官の1人だと思う。基本的なものはカープの若手時代のことが根強く残っている。それを試行錯誤してね……」
人の根を、泥のたっぷりついた太い根っこにするには、膨大で小さな時間の積み重ねが必要だろう。目に見えない土の下でゆっくりと育てるしかないのだろう。逆に言えば、それが甲子園のスタンドを埋める「期待感」になっているのではないだろうか。高代の言葉を聞いていると、そんな気がしてきた。
そして高代は今シーズン開幕前、広島市内にある三村の墓を訪れたという。金本にとっても、自分にとっても恩人である故人の前に立ち、墓石に向かってあることを語りかけたという――。