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金本監督は恩師に「よう似とる」。
高代コーチが思い出す、ある逸話。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNanae Suzuki
posted2017/07/27 08:00
金本監督の隣で柔和な表情を見せる高代コーチ。かつて自分が育てた男が頼れる指揮官になったことを、彼はどう感じているのだろうか。
金本が引退の日に名前を挙げた3人の恩師。
金本は現役引退の日、自身に大きな影響を与えた野球人を3人挙げた。いずれも広島時代に自らの根っこを鍛えてくれた高代であり、山本一義であり、そして三村敏之だった。
特に三村には二軍監督時代から通じて7年間指導を受け、高代もコーチという立場でその時代をともに戦った。まだ選手として芽が出なかった頃、金本は三村に故障を報告して「そんな奴はいらん」と、その場で二軍落ちを命じられたことがあった。以来、怪我をしても決して口にすることなく、骨折してもヒットを打ち、連続フルイニング出場の世界記録を成し遂げたのは有名な逸話だ。
そして'09年、61歳で逝った三村の告別式、涙の弔辞を読んだのも金本だった。
今、高代は三村を支えていたあの頃と同じ三塁ベースコーチに立っている。そしてベンチの金本を見ていると、なぜか、かつての三村にダブることがあるという。
「似てる……。具体的にはうまく言えないんやけど、似ているんよ」
今も忘れられない、三村監督の「打て」のサイン。
高代が今でも覚えているシーンがある。1990年代半ば、広島市民球場でのある試合、勝負は延長戦にもつれ込んだ。そして延長10回裏1アウト三塁、サヨナラのチャンスがめぐってきた。
打者はまだ入団したばかりの浅井樹(現広島コーチ)だった。彼は強打者と期待される反面、意外と器用でバントが上手いことでも知られていた。高代は三塁コーチボックスからベンチの三村を見た。スクイズもあるかもしれない……。そんな気持ちでサインを待っていた。
三村が選んだのは「打て」だった。真正面から打て――。若く未来のある打者にそう命じた。結果として浅井は打てず、得点は奪えず、試合に敗れた。
敗戦の後、三村が高代に聞いてきたという。
「あそこでスクイズ考えたか……?」
高代が答えるより前に、三村は続けたという。
「でも、あそこでスクイズ成功してもあいつに何か残るか? この先、チームのためということを考えたら1本打って欲しかったんや……」