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“エル・ロコ”ビエルサが変わった?
リールの監督就任騒動と、その後。 

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クリストフ・ラルシェ

クリストフ・ラルシェChristophe Larcher

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photograph byBernard Papon

posted2017/06/19 11:00

“エル・ロコ”ビエルサが変わった?リールの監督就任騒動と、その後。<Number Web> photograph by Bernard Papon

監督就任の席でリールにおける“野望”を語り尽くしたビエルサ監督。とりあえず1年目の目標はリーグで5位以内という現実的なものだ。

マルセイユ監督に就任するまでのドタバタ劇。

 マルセイユのジョゼ・アニーゴ暫定監督の権威は失墜し、スタジアムを取り巻く雰囲気は険悪だった。ビエルサというカンフル剤が、観衆とメディアに訴えかける下地は整っていた。

 彼の就任は、まるでお伽噺が実現したかのように語られた。各紙の見出しがそれを物語っていた。ラ・プロバンス紙は「すべてのマルセイユが彼を待っていた」「革命がここから始まる」と書きたて、『ジュルナル・ド・ディマンシュ』紙は「クレイジーがマルセイユに」と煽り立てた。

 4月には彼の名前はマルセイユのあらゆるところで語られるようになり、契約前にマルセイユを訪れたビエルサ自身も当時チームで指揮を執っていたマニュエル・アモロに練習でアドバイスを送るなどし、4日におこなわれたアジャクシオ戦の勝利(3-1)に貢献したのだった。

 ビエルサと契約できるときは近い……とラブルンは確信した。だが、ほどなくして彼は、ビエルサが御しがたい人間であることも痛感することとなった。クラブの会長であるラブルンの意を汲んで近づこうとすることなど、ビエルサには一度としてなかったのだ。

徹底的なビエルサ体制が敷かれたが……。

 監督就任後は、ビエルサが絶対の信頼を置くアシスタントのディエゴ・レジェスが相手チームの事前の調査を進め、ビエルサ自身もビデオ分析に10時間以上を費やした。

 マルセイユでの絶対的な権限を彼は求め、クラブへの要求もどんどん増え続け、それに伴いコマンダリー(マルセイユの本拠地)のスタッフも仕事に忙殺された。

 ところが2015年……チームと監督の良好な関係は、何の前触れもなく南米に帰ってしまったビエルサによって終わりを迎える。そして騒動を横目に、ビエルサはしばらく後に何食わぬ顔でこっそりとマルセイユに戻った。これには誰もが怒り心頭で、一触即発の危うい空気が彼の周囲に流れた。

 当時の『ラ・プロバンス』紙はタイトルにこう打っている。「ビエルサとマルセイユ、何というばか騒ぎか!」そしてこう続けた。「ありとあらゆる幻想を与えながら、頭のおかしなマルセロ(マルセロ・ル・ファダ)がシーズン終盤のマルセイユを破壊し尽した」

 そうして何週間かが過ぎ、ベロドロームの未来のアイドルは練習再開をすっぽかし、その4日後にトレーニングウェア姿で帰国便に乗り込み騒ぎを締めくくったのだった。

【次ページ】 監督辞任に至るまでの騒動に、政治的圧力までも。

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