相撲春秋BACK NUMBER
手負いの稀勢の里と戦った2人の関取。
鶴竜と照ノ富士は何を感じていたか。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byJMPA
posted2017/03/30 17:50
力強い声援と悲鳴が渦巻くように響いた決定戦――背負うものはぞれぞれにあったはずだが、最後まで弱音を吐かない両者であった。
実は照ノ富士も歩けないほどの膝の怪我を……。
後日、13日目の鶴竜戦で古傷の膝を痛め、歩くのさえも困難だったことが、関係者から明かされた。休場も考えたなか、照ノ富士もまた気力を振り絞って強行出場を決意し、土俵に上がっていたのだった。
前日の琴奨菊戦での立ち合い変化に、ブーイングと罵詈雑言のような野次を浴びていた。「そこまでして勝ちたいのか?」「最低ー!」「モンゴルへ帰れ!」「懸賞金、置いてけ!」と、耳を覆いたくなるほどの辛辣なヤジは、おそらく膝の痛み以上に、その心の傷になっただろう。
千秋楽の打ち上げパーティでの照ノ富士は、賑わう会場外のほの暗い場所に、ひとりポツリと椅子に腰掛け、誰も声を掛けられないほどに、その表情は沈んでいた。その姿を目にした兄弟子の安美錦はいう。
「みんな照ノ富士が優勝すると思っていたからね……。『まだまだ頑張ればいいよ』とだけは声掛けたけど、何を言っても辛いのは本人だから。
出るか出られないかの状況で、黙って出て来てた。できることで勝ちに行ってた。その点では稀勢の里と同じだよね。どっちも責められないよ。照ノ富士には、この経験を次に繋げてほしい。アイツならできる」
ふたりの「変化」については好角家のなかでも議論が。
稀勢の里は、「ああいう相撲しかとれなかった」と自省するものの、「照ノ富士の変化は批判されて、稀勢の里の変化は容認されるのか」と、今、好角家のなかで新たな論議を呼んでもいる。
この春巡業は、稀勢の里、照ノ富士ともに休場することとなった。
相撲はひとりでは取れないもの――。
大相撲の醍醐味を存分に見せつけてくれたふたりが、それぞれに抱えた傷を存分に癒し、また新たなドラマを紡いでくれるだろう。