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シャビは確かにバルサを愛していた。
強烈な家庭と、理想のチームと。 

text by

濱口陽輔

濱口陽輔Yosuke Hamaguchi

PROFILE

photograph byWataru Sato

posted2017/01/30 08:00

シャビは確かにバルサを愛していた。強烈な家庭と、理想のチームと。<Number Web> photograph by Wataru Sato

シャビとバルセロナ。相思相愛の関係性は永遠に続く。

シャビの言葉一つひとつがバルサの現代史だ。

 自伝では、シャビの生い立ちやカンテラでの生活、プロになってからの彼自身の言葉で語られている。シャビの言葉一つひとつがバルサの現代史のようである。

 彼の父は、エウロパというチームの元選手だ。祖父と母は熱狂的なバルサのクレ(サポーター)で、2人の兄もサッカーをしていたので、シャビがサッカーを始めるのは必然だったのかもしれない。

 祖父の前で「レアル・マドリー」は禁句。また19歳の時、破格の条件でACミランへの移籍話が来た時も、バルサでなければ離婚すると母が言って頓挫したという強烈なエピソードがある。

 今でこそ昔ほどの確執はないが、彼の祖父の時代は相当なモノだったと想像できる。

 スペインは民主化したのが1978年と比較的歴史が浅く、カタルーニャ語の使用が40年ぶりに認められたのもそれからだ。1975年のフランコ総統死後、初となるカンプノウ開催のクラシコでは、カタルーニャの州旗が40年ぶりに、そしてカンプノウで初めて振られたのだった。

 そんな時代を生きたシャビの家族たちにとっては、一見強烈なエピソードも当然のことなのかもしれない。彼らにとってバルサはカタルーニャの誇りなのだから。

ラ・マシアでの切磋琢磨と、グアルディオラ。

 今はもう閉鎖されてしまったが、2007年にはカンプ・ノウの隣にラ・マシアといわれる寮があった。将来トップチームを目指す下部組織の少年たちが生活していた場所だ。

 シャビは、カンテラ(下部組織)の仲間と共に切磋琢磨し、トップチームでデビューするまでの経緯も語っている。シャビがカンテラにいた時のトップチームは、「エル・ドリームチーム」と称された黄金時代を謳歌していた。初めてチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制したのもこの時だ。その時のゲームメーカーがグアルディオラである。

【次ページ】 恩師が毎日のように言っていた「自覚と理性」。

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