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永里優季が語った「五輪のない夏」。
敗退の理由、世論との軋轢、東京。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byAFLO
posted2016/10/20 16:30
東京五輪の年、永里優季は33歳になる。2011年のW杯で優勝した時の澤穂希が32歳。中心選手としてチームを引っ張るには最適だ。
半年で国際試合を1戦しか経験せず予選に直行。
この予選での敗因を、永里はどう振り返るのだろうか。
「うーーん。初戦で負けたのが痛かった。オーストラリアがかなり組織的にやってきて、完全に日本を研究してきて、完全に良さを出せなかったです。それにまんまとやられてしまって、そこからはやっぱり切り替えられなかったのが原因。中1日だから、初戦落とすときついんですよ。ターンオーバーもできなくなる」
短期決戦で、初戦が鍵になるのは鉄則。となると多少無理をしても初戦にかける、つまり最大限の準備を行う必要があったが、それができなかった。
'15年8月の東アジアカップ以降、なでしこが戦った国際試合は1試合のみ。いくら実績があっても、準備ができなければ結果は厳しいものになる。一方の豪州は年明けにも試合を組み、日本戦を予選最大の山場と捉えて入念な準備をして臨んできた。敗戦という結果は必然だった。
「いつも大会前なんて、うまくいってないんですよ」
これまでは、劣勢の状態から踏ん張れるのもなでしこの強さだった。'W杯やロンドン五輪までの好成績は、チームが大会中に試行錯誤しながら問題点を修正し、決勝まで成長し続けたからこそ達成できた結果である。しかし今回の予選では、立て直しがきかなかったと永里も認める。
「だいたいいつも大会前なんて、うちらうまくいってないんですよ。それが普通だったんです。で、今回も全然うまくいってなかったけど、まあいつも通りかなっていう程度でした。中国でやったロンドン五輪予選の時もそうだったし。ただその頃はなんとかしなきゃという気持ちが強かったけれど、今回は強くなりきれなかったです。結果的に、ということかもしれないけど」
岩清水もこう証言してくれた。
「経験は豊富なチームだけど、結局敗戦で始まるということには慣れていなかったんですよね」
黒星スタートが、いわば全てだったと両ベテランの意見は一致した。