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永里優季が語った「五輪のない夏」。
敗退の理由、世論との軋轢、東京。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byAFLO
posted2016/10/20 16:30
東京五輪の年、永里優季は33歳になる。2011年のW杯で優勝した時の澤穂希が32歳。中心選手としてチームを引っ張るには最適だ。
メディア、世論から受けた総攻撃に苦しんだ。
大会を通して永里を苦しめたものの1つに、メディアとの軋轢があった。彼女は、ストレスから代謝に異常をきたし発汗が増え、大会後も栄養もうまく吸収できなくなり体重を落としたという。もちろん中1日で5試合という厳しい日程もその大きな要因だが、あきらかにそれだけではなかったという。
「気にしないようにしてたけれど、テレビつけたら絶対やってるし。だからテレビは一切つけなかった。ツイッターもフェイスブックも開かなかった。SNSは、開けなかったです」
当時、永里の名前はまるで戦犯のように各メディアで躍った。特に五輪切符を逃すことが決定的になった中国戦の後、こんな趣旨のコメントを残したことで、攻撃の矢が直撃するようになる。
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「自分たちのレベルが上がっていない。原因は自分たちに求めたい。ただそれだけで解決しないこともあり、選手、協会、メディアも含めて改善していかないと」
「一度ブチ切れて喧嘩しに行こうかと思いましたよ」
確かに責任を転嫁するコメントに聞こえなくもないが、選手だけではどうにもならないことが多いのも確か。例えば冒頭に挙げた初戦に向けた準備、海外とのマッチメイクなどは選手の管轄では無い。
予選の会場がホームだった分だけ、スタンドの声は余計に聞こえる。だが、18000人収容のスタジアムに、観客は10000人も集まらなかった。協会の努力が十分だったか、しっかりとした検証がなされているとは言い難い。
また、この予選で観客は、苦しむチームを後押しするでもなく、ブーイングを浴びせ続けた。
「一度ブチ切れて喧嘩しに行こうかと思いましたよ」
永里は笑いながら、物騒なことを言う。ブーイングが愛情の証かどうかについては、本田圭佑がミランで問題提起した件でも記憶に新しい。ただ、その微妙な問題に言及してしまう率直さが、今回の永里の場合は仇となった。
結果的に、彼女は五輪のない夏を過ごした。リオ五輪で一番感動したスポーツは、銀メダルを獲得した陸上男子400mリレーだったという。
「ずっと日本の試合を見てたんですけど、やっぱりチームスポーツに感動するなっていうのを思って。日本人って、何人かでまとまったときに力を発揮する。その時に感動が生まれるなって」
やはり、根っからのサッカー人であることをうかがわせる。