サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
清武弘嗣が乗り越えたハリルの規律。
自由さで示した“攻撃の道筋”とは。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/10/14 11:00
清武弘嗣が2アシストで鮮烈な代表デビューを果たしたのが2011年。5年後にスタメンに定着できていないとは誰が想像しただろうか。
オーストラリア戦、勝利は難しくないように見えた。
オーストラリア相手に日本は、4バックのDF陣やボランチだけでなく、両サイドアタッカー、そしてトップ下の香川までもが自陣で守備に奔走。その成果もあり、オーストラリアが得意とするサイド攻撃を封じ込め、ロングボールを蹴らせる機会を奪うことに成功していた。
なにより日本は5分に原口のゴールで先制している。堅守を誇る相手の攻略に成功していた。52分にPKを与えてしまったが、それでも時間はまだたっぷりと残っている。攻め急ぐ相手からボールを奪い、カウンターで仕留めることもできそうだった。
日本にはドリブルやスピードに長けたFWがベンチに残っている。そして、決定機を演出することが得意なパサーもいる。彼のプレースキックはチームナンバー1の正確性と破壊力を持っている。
小林のアクシデントで清武がピッチに立ったのは82分。
しかし、ハリルホジッチ監督はメンバー交代という采配をなかなか振らなかった。どんどんと自陣へ押し込まれて、跳ね返すことだけで精一杯。そこから攻撃に出ることすらできない日本代表を、指揮官はいらだちと不安気な表情で見ているだけだった。
「中盤も最終ラインぐらいまで下がってしまって、そこから押し上げていくには前線との距離があり、攻撃の筋道が見えなかったのは大きな課題」と香川も試合後に振り返っている。
やっと指揮官が交代カードを切ろうとしたのは、80分を過ぎたあたりだった。当初は浅野をベンチに呼び寄せていたが、小林が足をつりピッチに座り込んで立ち上がれなくなると、慌てて清武との交代を指示したのが82分。いったんは交代を見送った浅野を本田に代えてピッチへ送り出したのが、84分だった。
その間にもオーストラリアは途中出場のケーヒルがシュートチャンスを2度迎えていた。わずかな残り時間だったが、日本のピンチは相変わらず続いている。右アウトサイドに入った清武も自陣での守備に追われていた。